1972年に「返事はいらない」でデビューしてから、今年でデビュー50周年を迎えた松任谷由実さん。彼女がデビューするまでを描いた小説『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』を10月に出した山内マリコさんと、ザ・フィンガーズの元ベーシストで、荒井由実が世に出る前から交流があったシー・ユー・チェンさんが、ユーミンの魅力について語り合った。
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山内マリコ:チェンさんのガールフレンド「プーちゃん」をはじめ、あの時代の女の人はあだ名で呼ばれてましたけど、「ユーミン」の名前の由来はなんですか。
シー・ユー・チェン:ニックネームとかファーストネームで呼ぶというのが当時のカルチャーだった。
山内:その流れで「ユーミン」も付けられたんですか?
チェン:面白い女の子だから興味を持って、あの娘、何て呼ぼうかとなって何になりたいか聞くと、「有名になりたい」(中国語で有名は「イォウミィン」)。何が好き?と聞いたら「ムーミン」って。じゃあ、ユーミンとなったんです。
山内:「Yuming」の最後に「g」がつくのは「自分でつけた!」とご自身は強調されていました。
チェン:現在進行形(ing)にしたかったんだね。いつも進化しているということですね。彼女は自分が作曲家になって成功していくんだというビジョンを中学、高校の頃から明確に持っていた。今の日本は温かいまゆの中にいて、それを打ち破って自分のやりたいことを見つけようとする気概がないように感じます。でもユーミンや僕たちのジェネレーションは、船に乗って航海に出て、人生で生きる目的を自分で見つけ、チャレンジした。そういうロックな時代にユーミンは敏感に、大人は何をやっているのかとか、ミュージシャンは何をすべきかを探求していたんでしょう。
山内:ユーミンは時代を読む意識が高くて早いんです。例えば「流線形’80」は80年代かと思ったら78年ですし。先読みして次に来るのはこれだとプレゼンテーションしていたんですね。時代が変化する手応えを最前線でキャッチして音楽にフィードバックするのは、面白かったでしょうね。