五輪を日本で開催した年は、首相が辞任する。永田町で続くジンクスは、やはり生きていた。菅義偉首相は3日、自民党の臨時役員会で9月29日に実施予定の党総裁選に出馬しないことを明らかにした。
永田町で異変が勃発したのは8月末。菅首相は党内で地に墜ちた求心力を取り戻すため、二階俊博幹事長を総裁選前の党役員人事で交代させるという“奇策”に打って出た。
河野太郎行政改革担当相や小泉進次郎環境相などを要職に抜擢することで党の世代交代を印象づけ、9月中に臨時国会を開いて衆院を解散。衆院議員がいなくなったことを理由に党総裁選を延期し、10月の総選挙に勝利するというシナリオだ。もちろん、選挙に勝てば党総裁は無投票再選、首相も続投できるという読みだった。
だが、この作戦は失敗に終わった。
8月31日には、加藤勝信官房長官、武田良太総務相、萩生田光一文部科学相、井上信治万博相が都内のホテルで会談。具体的な内容は報道されなかったが、党内では「衆院解散の閣議決定に署名するかについて議論になった」という話が広まった。自民党関係者は言う。
「閣議決定は全員一致が原則。2005年の郵政選挙では小泉純一郎首相が反対する閣僚を罷免して解散を強行したが、不人気の菅首相にそんなことはできるはずがない。事実かどうかは関係なく、『解散署名に反対する閣僚が出る』というウワサが出た時点で菅首相の解散権は封じられた」
結局、安倍晋三前首相と小泉氏が働きかけたことで、菅首相は1日に解散断念を表明。シナリオはあっさり崩れた。
奇妙なウワサはほかにもあった。菅首相が8月21日に定期健診で病院に行くと「近日中に体調不良で辞任」という情報が流れた。29日に154日ぶりの休日を取ると「執務が多忙すぎて正常な判断ができなくなり、周囲が強引に休ませた」。真偽は不明だが、党内では“殿、ご乱心”との見方が広がった。