「墓場の画廊」のイベント「DVZ50」の展示と外観((c)永井豪/ダイナミック企画)
「墓場の画廊」のイベント「DVZ50」の展示と外観((c)永井豪/ダイナミック企画)

「70年代前半は光化学スモッグや河川や海の汚れなど公害問題が深刻でした。60年代の未来万歳、科学技術が発展すれば薔薇色の未来が待っているという時代ではなく、科学技術そのものが悪であるという見方も出てきた。73年のオイルショックで『薔薇色の未来』への疑念はさらに深まります。そういう時代背景に、永井豪作品のどこかニヒリズムをもつ世界観が非常にフィットしたと思います」

 技術的な面を見ると、2作品のアニメでの成功は、それまで高級品だったカラーテレビの価格が下がり、お茶の間にかなり普及した時期の作品だったことも大きいという。

「白黒時代と違って色の使い方でもキャラクターの個性を表現できるようになった。さらに、テレビのブラウン管のサイズも大きくなり始めたことで、劇画のような細かい線も表現できるようになりました。デビルマンの体が原作と違う緑色のデザインになったことも象徴的ですが、キャラクターの鮮やかなカラーリングや、リアルで躍動感のある戦闘シーンなど、豪先生の作品の魅力がより発揮できる土台が整ったと言えます」(氷川さん)

 それにしても、人間の体を乗っ取った悪魔がヒーローになるというデビルマンの斬新な発想は、いったいどこから出てきたのだろうか。

 氷川さんはデビルマンの“源流”になったともいえる永井豪作品として、71年に「週刊ぼくらマガジン」で連載された「魔王ダンテ」の存在があると語る。

 この作品では、主人公の高校生は氷に閉じ込められていた巨大な悪魔・ダンテを発見する。ダンテに捕食されてしまうものの、その怒りから逆にその体を乗っ取り、敵である神や人類を滅ぼそうとする。

「人間が人間の意識を持ったまま、巨大な悪魔になってしまうという作品です。豪先生によると、映画『ゴジラ』のような巨大生物の作品を自分なりに描きたかったそうですが、人間の意識が乗っかったまま人間と対立する存在になるところが他の作品と全く違いました。悪魔と神の対立や、人智を超えた力と人が一つになる構図、キリスト教世界の影響を感じさせる黙示録的な世界観などは、マンガ版のデビルマンに引き継がれています」(同)

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