病苦から逃れたい人、亡くなった家族と再会したい人など、「苦悩からの逃げ場」として“夢”が描かれている。そして、煉獄たちもこの魘夢が見せる夢に翻弄された。現実世界で生きるのがつらい人であればあるほど、魘夢にとっては「戦いやすい敵」なのだ。

■魘夢が最初に見せた“夢”

 魘夢との戦闘開始時に、煉獄たちは敵の襲撃に気づかないまま眠らされる。そして、夢の中で2体の鬼と戦った。

<その巨躯を!!隠していたのは血鬼術か 罪なき人に牙を剥こうものならば この煉獄の赫き(あかき)炎刀が お前を骨まで焼き尽くす!>(煉獄杏寿郎/7巻・第54話「こんばんは煉獄さん」)

 ここで煉獄が斬ったのは、漫画の原作にも登場する、ツノがいくつも生えた巨大な鬼だ。その次に煉獄は、劇場版にだけ登場する、手足が異常に長い鬼を成敗した。しかし、劇場版の観客も、コミックスの読者も、この場面が現実なのか夢なのかで意見が分かれたことがあった。

■“夢”なのか“現実”なのか?

 結論から言うと、この2体の鬼との戦闘シーンは「夢の中」の出来事である。煉獄だけが見た夢、あるいは煉獄、炭治郎、伊之助、善逸がそろって見た夢と解釈するのが正しいと思われる。その理由を2つ挙げる。

 1つ目に、無限列車では、魘夢に操られた車掌が、切符を切るために乗客席を巡回している。魘夢の血鬼術は、切符を切った瞬間に発動するように仕掛けがしてあった。よって、切符が切られたその時から、煉獄たちは魘夢の術中に落ちたと考えるのが妥当である。

 2つ目に、煉獄が鬼を倒した時には、煉獄が繰り出した「炎の呼吸」の技によって、周囲の乗客席が壊れている様子が描かれている。しかし、次のシーンで煉獄たちの座席に場面転換すると、彼らが眠っている周辺は何も破壊されておらず、床もきれいなままだった。夢の中の出来事だからだ。

 さまざまな解釈が生まれるのも、現実に限りなく近い夢、という演出の妙が光っているからだろう。

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煉獄の見た“夢”は幸せだったのか?