『カサンドラのティータイム』櫻木みわ著
朝日新聞出版より11月7日発売予定

 イソップ寓話「嘘をつく子供」をご存じだろうか。「オオカミが来た!」と嘘をつき続けた結果、本当にオオカミが来たときも信じてもらえず、オオカミに襲われてしまう。いわゆる「オオカミ少年」の話である。常日頃から嘘をついていると、もしものときに誰も信用してくれない。だから嘘をつくのはよくない、という寓意を含んでいる。

 だがもし、少年の村にSNSがあったらどうだろう。何百万人という人が一瞬でつながれる時代だったら。おそらく、少年の話を信じる人も現れるはずだ。少年の話を信じる者と信じない者のあいだで言い合いになり、互いに相手陣営を陰謀論者とののしる。最終的に多数派となった意見が「真実」としてまかりとおっていくことだろう。

 そこにおいて、少年がこれまで何度も嘘をついているという前科は決定的な意味をもたない。それよりも、少年の出自や容姿、弁舌の爽やかさなどが重要になってくる。

 ある集団における真実は、それを主張する者同士の「魅力の綱引き」によって決まる。より魅力的な人の主張を皆自然と信じてしまう。求心力を武器にした一種の陣取り合戦である。実はこの戦い、始まる前から勝敗は明らかなことが多い。社会的地位のある「立派な人」は嘘をつかないだろうと皆思うからだ。一方で、構造的弱者の訴えは矮小化されやすい。「考えすぎじゃない?」と片付けられるどころか、「嘘つき」「ヤバい奴」「ヒステリー」などとののしられながら、世間から退場する羽目になる。

 届かぬ声を抱えたまま口を閉ざすことで、世界と一旦は和解できるかもしれない。だがそれは、間違いなく屈辱的な生き延びかたである。押さえつけられ口を閉ざした者が、たまらなくなって顔をあげ、口を開く。

 そのかすかな息づかいを丁寧にすくいとったのが、本作『カサンドラのティータイム』である。

 本作は、人気スタイリストのアシスタントとして働く戸部友梨奈の物語から始まる。四国の離島を出て、広島市内で美容師として働いていた友梨奈は、スタイリスト事務所での採用が決まり、念願の上京を果たす。東京での仕事が軌道に乗り始めた頃、コメンテーターとして人気の社会学者、深瀬奏と出会う。深瀬との出会いをきっかけに、友梨奈のキャリアは思わぬ方向に転がっていく。

 第二の主人公は、滋賀県で生肉加工会社のパート職員として働く安居未知である。夫の彰吾の転職にともなって、彰吾の地元、滋賀県に転居した。二年にわたる不妊治療に区切りをつけ、心機一転、生肉加工のパートに通い始める。趣味はマンガを描くことである。不妊治療をやめた経緯について、エッセイマンガを描き、SNSで発信し始めたことが、彰吾とのいさかいに発展していく。

 二人の女性の人生が思わぬかたちで重なり、影響を与えあう。小説ならではの仕掛けや驚きもある一方で、様々な料理や飲み物、景色など、本作を彩るディテールの鮮やかさも見逃せない。

 そういったディテール、さりげない日常の言葉を積み重ねることで、切実な世界を立ち上がらせているのが、本作の一番の特長だからだ。

 届かぬ声を抱えた者がふいに漏らす声は、大々的な告発とは限らない。日常の中のちょっとした世間話、お茶をしながら軽く交わされる愚痴に潜んでいる。だからこそ、この物語はさりげない日常の言葉で書かれる必要があった。文章の質感と意味内容が美しく整合した物語だ。

 タイトルに含まれる「カサンドラ」とは、ギリシャ神話に出てくるトロイの王の娘である。予知能力を持った魅力的な女性だが、呪いをかけられ、誰も彼女の言葉を信じなくなってしまう。そこから派生して、共感性や情緒的な反応に乏しい人と密接な関わりを持つ人が抱える苦しみを「カサンドラ症候群」と呼ぶことがある。閉じた関係の中で生じる苦しみを周囲に訴えても信じてもらえず、ストレスを重ね、心身に苦痛をきたしてしまう。

 カサンドラが発する悲鳴のようなSOSを受け取れるのは、同様の経験をした者、構造的弱者であるがゆえに届かぬ声を抱えて生きてきた者である。

 弱者と弱者が手をつないだからといって、社会構造を変えられるわけではない。だが、届かぬ声が誰かに届くことで、少なくとも彼女たちは明日も生きていける。それは世界に対する、あまりにもささやかな抵抗である。踏みつけられても失われることのない人間の尊厳のしなやかさ、力強さが、ほのかな希望となって読者の胸に響いてくる。

 明日も生きていくために、この物語が必要な人がどこかにいると思う。物語をつらぬく祈りのような声を、ぜひ受け取ってほしい。