洋楽ロックファンでウドー音楽事務所を知らない人はいないだろう。ウドーが招聘したアーティストは数限りない。半世紀を超える歴史が一冊の本にまとまったのを機に、名ツアーマネジャー、高橋辰雄さんに記憶に残るライブを語ってもらった。
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現在、高橋辰雄さん(69)の肩書は、ウドー音楽事務所副会長。音楽業界に関わるきっかけは、1972年のレッド・ツェッペリン武道館公演で会場整理のアルバイトをしたことだった。プロモーターの仕事に興味をもった高橋さんは、人を介して何度もウドーの会社に足を運んだ。ようやく創立者の有働誠次郎氏との面会がかない、74年、まずアルバイトとして採用された。
──初めてツアマネとして手がけたライブは?
「正社員になった75年2月のウィッシュボーン・アッシュですね。当時は『プロモーター』の名称もなく、『呼び屋』と言われ、社会的認知度も低かった。僕もウドーが海外から招聘してコンサートをする、までは知っていましたが、ツアマネの仕事はよくわからない。先輩社員から教えられたのは、『アーティストと行動を共にして時間通りに舞台に立たせる。それにまつわる諸々の対処はすべてお前がやれ』ということだけ。海にポンとほうり投げられて、泳いで帰ってこいと言われたようなものです(笑)」
──来日中は、つねにアーティストのそばにいるんですね。
「付き人であり、通訳であり、身の安全を守る警備もするし、メディア対応、スケジュールの調整、地方公演なら現地のイベンターとの仲介もする。アーティストを無事に時間通りに会場に届け、気持ちよくベストの演奏をしてもらうためのすべてが仕事です」
──70年代はロックミュージシャンの来日公演が増えていった時期でもありますね。
「75年3月のバッド・カンパニーも、当時、もっとも客席数が多かった武道館のコンサートを初めて担当したので大変でした。客席の照明が落ちると、お客さんがわーっと舞台に押し寄せてくるんです。どう収拾しようかと。客席の警備は専門会社の担当ですが、アーティストの安全確保は我々の責任ですから。でも、あのときに舞台の袖から見た客席の興奮は目に焼き付いています。演奏も素晴らしかった」