──過去のインタビューを読むと、ギタリストのお話も多いですね。

「ギターの音色が好きなんです。70~80年代は、ギタリストとボーカリストの二枚看板のバンドも多かったですから。リッチー・ブラックモア、ジェフ・ベック、ゲイリー・ムーア……。ロリー・ギャラガーは紳士的でいい人。わがままがなくて、ギタリストにしては真面目でした(笑)。

 ミック・ジャガーの初来日は、初めてのドーム公演だったのでワクワクしましたし、U2もボノのボーカルがすごかった」

──最近はビッグアーティストの訃報が続き、淋しいですが、亡くなった方で記憶に残るのは?

「デヴィッド・ボウイは、彼が結成したバンド、ティン・マシーンの92年の来日公演を担当しました。札幌でコンサートが終わってクルーパーティーをしたとき、居酒屋の座敷に『俺も行くから。みんなに挨拶するから』ってボウイが来てくれたんです。ピュアで気さくでエゴのない人でした」

──コンサートのあり方もグッズ販売など、楽しみ方が広がりました。

「先鞭をつけたのはKISSでしょう。彼らは、見せるステージングとマーチャンダイジングに影響を与えました。ロックをエンターテインメントの一つの文化に育てた功績はあると思います」

1978年来日公演時のKISS@Koh Hasebe /Shinko Music Archives
1978年来日公演時のKISS@Koh Hasebe /Shinko Music Archives

──今でこそ日本公演は海外アーティストに人気ですが、70年代は制作の苦労も多かったのでは?

「大規模なロックコンサートの経験が乏しく、大音量を出せる環境がありませんでした。会場の設備では出力が足りないので、PA卓(音響機器)をすべて持ち込んだりしたんです。今は客席の中央にPA卓を置くのが当たり前ですが、かつては認められず、どうルールを変えてもらうかの交渉も必要でした。大がかりな照明設備や花火、レーザーの特殊効果も同様で、会場や消防などに必要性を理解してもらうまで、根気よく交渉しました」

──ウドーが日本のロックコンサートの道を切り拓いてきたんですね。

「80年代以降は、よほどのこだわりがない限り、アーティストが楽器や照明、音響設備を持ち込まなくても、本国と同じ環境でコンサートが開けるようになりました。他の国ではステージのサイズや楽器の準備など、オーダーと違っていることもあるそうですが、日本ではあり得ない。その高い信頼性は、弊社だけでなく、音響や照明、楽器、チケット販売と、コンサートに関わる多くの企業が努力を積み上げてきた結果です」

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