「おや?」と思って立ち止まる。そしてはじまる旅の迷路――。バックパッカーの神様とも呼ばれる、旅行作家・下川裕治氏が、世界を歩き、食べ、見て、乗って悩む謎解き連載「旅をせんとや生まれけむ」。今回は、アフガニスタンについて。数十年単位で眺めると、違った景色が見えてくるという。
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19年前、アフガニスタンを一周した。パキスタンから陸路でジャララバードに入り、カブール、マザリシャリフ、マイマナ、ヘラート、カンダハル……。当時のアフガニスタンにはバスもなかった。すべて相乗りタクシー。途中でアメーバ赤痢に罹ってしまう苦しい旅だった。
そのアフガニスタンを再びタリバンが掌握した。わかりやすくするために簡単な年表をつくってみた。
1979年 旧ソ連が軍事侵攻
1989年 旧ソ連撤退。その後、内戦。
1996年 タリバンがカブール占拠
2001年 アメリカ同時多発テロ。アメリカ軍のアフガニスタン空爆はじまる。年末にタリバン政権崩壊。
2021年 タリバンが全土を再掌握。
旧ソ連侵攻から17年でタリバン台頭。その政権が崩れてから20年で再びタリバンがアフガニスタンを掌握した。その年数が気にかかる。
アフガニスタンをはじめて眺めたのは1981年である。当時、アフガニスタンには入国できなかったが、パキスタン側から国境まで行くことはできた。正確にいうと、パキスタンとアフガニスタンの間につくられた非武装地帯のパキスタン側である。左右から山が迫っていた。境界は白線が敷いてあった。それの線を越えてみた。一歩、二歩……。兵士がパキスタン側に戻るように、銃の先を動かした。
アフガニスタンには旧ソ連の傀儡政権ができていた。侵攻した旧ソ連へのゲリラ作戦を続ける男たちは、パキスタン側から出撃していった。
タリバンはアフガニスタンを掌握したが、その機会を虎視眈々と狙っていたかというと、そうでもない気がする。旧ソ連、そしてアメリが撤退すると、タリバンが息を吹き返すという構図が繰り返されただけだ。つまりアフガニスタンという国は、なにひとつ変化がないということだろうか?