■伝説の「予告ホームラン」の真偽は

 32年のワールドシリーズ第3戦。相手ベンチからの激しいヤジにさらされたルースは、打席で指を1本立てて外野スタンドを指さした。その直後のボールを同じ方向に特大の本塁打。まさに「予告ホームラン」を現実のものにした。ただ、ルースが本当に外野席に向けて指をさしたのかについては議論があり、鮮明な映像も残されていないため、真偽不明の伝説として語り継がれている。

 この他、投手の股の間を抜けたライナーが、そのままぐんぐん飛び続けて本塁打になった、というこれまた信じがたい伝説もあったが、こちらはどうやら事実ではないようだ。

■子供大好きルースと約束のホームラン

 ルースの逸話で、最も有名な美談である。

 26年のワールドシリーズ中のこと。病床に伏していた野球ファンの少年の父が、ルースにサインをもらって息子を励まそうと球団に打電すると、ルースはわざわざ選手たちのサインボールを集め飛行機で送った。そして「君のためにホームランを打つ」と書いたボールも送り、実際にワールドシリーズで本塁打を放った。勇気をもらった少年は病気が癒え、立派に育ったという。

 ルースは粗っぽい面があったが、子供にはとても優しく、親のいない子供たちがいる施設などへの慰問も積極的だった。ルースが国民から愛された理由の一つだ。晩年、ルースが入院した際には病院の外に子供たちが詰めかけたという。

■日本遠征と沢村栄治の伝説

 34年、ルースは大リーグ選抜チームのメンバーとして訪日し、日本選抜と対戦。16戦全勝と圧倒した。だが、9戦目に先発した沢村栄治(後の巨人エース)は、米から9奪三振、1失点と快投。敗れはしたものの、その名を轟かせた。沢村はその10年後の44年、召集令状を受け、船で戦地フィリピンに向かう途中、米軍の潜水艦の攻撃を受け27歳で戦死した。

■引退後、首にがんが見つかる

 ルースは年齢に加え、暴飲暴食もたたって力が衰え、34年限りでヤ軍を事実上の戦力外となった。とはいえ、移籍後、ア・リーグ優勝7回、ワールドシリーズ制覇4回と、ヤ軍の黄金時代をけん引したのは間違いない。古巣のボストン・レッドソックスに移籍し、35年のシーズン限りで現役引退した。

 その後、首にがんが見つかり、48年の8月16日、53歳の若さでこの世を去った。

 圧巻の本塁打でファンを魅了し、粗っぽさはあるものの天衣無縫なキャラクターで愛され続けたルース。ニューヨークで行なわれた葬儀には10万人を超えるファンが参列し、その死を悼んだという。ルースがつけていた背番号「3」は、ヤンキースの永久欠番である。(AERAdot.編集部・國府田英之)

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國府田英之

國府田英之

1976年生まれ。全国紙の記者を経て2010年からフリーランスに。週刊誌記者やポータルサイトのニュースデスクなどを転々とする。家族の介護で離職し、しばらく無職で過ごしたのち20年秋からAERAdot.記者に。テーマは「社会」。どんなできごとも社会です。

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