■7歳ですでに酒を飲んでいた?

 実はベーブ・ルースは本名ではない。本名はジョージ・ハーマン・ルース・ジュニアという。1895年の2月6日、メリーランド州ボルティモアの下町に、ドイツ系移民の両親のもとに生まれた。父は酒場を経営しており、病弱の母と働きづめで生活は貧しかったようだ。ルースは8人きょうだいだったが、6人は幼少期に亡くなり成人したのは妹ひとりだけだったという。

 特に父は、子供に構うことはほとんどなく、放任されたルースは幼少期から商店で万引するなどのヤンチャを繰り返し、地元では知られた“悪童”となる。すでにウイスキーを飲みタバコも覚えていたとの、にわかには信じがたい話もある。大人の手に負えなくなったルースは、わずか7歳で、素行の悪い少年らの矯正施設でもある全寮制の「セントメリー工業学校」に入ることになった。

■なんで「ベーブ」と呼ばれたか

 工業学校で、巨漢のマシアス修道士につきっきりで野球を教わったルースは、めきめきと頭角を現した。

 ボルティモア・オリオールズ(当時はマイナーリーグ)のオーナー、ジャック・ダン氏がその能力に一目ぼれし1914年、契約に至った。入団時、オリオールズの選手たちに「ジャックの新しいベイビー(赤ちゃん)」として紹介され、これをきっかけに「ベーブ」の愛称が定着した。ただ、親に放任され矯正施設での生活が続いたせいか、世間知らずで子供のような行動をとることから、「ベーブ」と呼ばれたという説もある。

 ちなみにルースが15歳ごろ、母は病気で他界。23歳の時には父も死去、酒場でのケンカが原因だったとも伝えられる。ルースにとってマシアス修道士は親のような存在だった。

■投打の二刀流は実はわずかな期間

 オリオールズで活躍したルースは、その年の7月に大リーグのボストン・レッドソックス(ア・リーグ)に移籍する。

 当初は、投手として戦力となり、1915年に18勝を挙げ初の2桁勝利。出場機会は少なかったが外野手として出場することもあり4本塁打を記録した。16年は23勝、17年は24勝と順調に勝ち星を伸ばした。

 18年、投打の二刀流で起用され、投手として13勝、打者としては11本塁打を記録し、初の本塁打王に輝いた。投手、野手ともに出場試合数は多くはなかったが、大谷で話題となる「103年前」がまさにこの年である。翌年から、野手としての出場がメーンとなり、29本塁打の大リーグ記録を作った。

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