スマホがこれほど普及したのは、それが「人類に最適化したコンピューター」だったからだろう。そしてそれは、「人間の欲望に最適化した」ということでもある。スマホは人々の欲望をきわめて効率的に解放する。いつでもどこでも電話がかけられ、メールを受信できる。世界各地の情報と人類の知的遺産をポケットに入れて持ち歩くことができる。恋人からスマート・ドラッグまで、欲しいものはなんでも瞬時に手のひらの上に取り寄せることができる。究極の利便性とお手軽さ。だから人類規模で広がったのだろう。
おかげでぼくたちの生活は一変した。どこかへ行くときにはスマホの「グーグル・マップ」を呼び出す。その通りに歩いていけば目的地にたどり着ける。昼はイタリアンにしようかなと思ったときは「食べログ」だ。コンビニやスーパーではスマホを店の端末にかざせば支払いはOK、お金の計算さえしなくていい。仕事中に何か調べるときはグーグルの検索機能を使う。英語がわからないときは翻訳アプリだ。
■新しい世界を「上書き」
こんな具合に、いつのまにかスマートフォンやパソコンの操作法さえ習得すれば生きていける世界が出来上がってしまった。それ以外のことを知らなくても、とりあえず困らない。自分で考えたり判断したりする必要はない。世界は手のひらサイズに収まっている。このコンパクトな世界が、コロナ恐怖に煽られて右往左往している。まるで世界中が自己免疫疾患を起こしたかのように自分たちを痛めつけている。誰もが躍起になって世界を壊そうとしている。
21世紀の最初の10年間にジョブズと彼の会社が生み出した製品は、そのたびに「夢」の実現として熱狂的に迎え入れられてきた。ジョブズもアップルも多くの人にとって夢をかなえてくれる存在だった。たしかに夢の一部はかなえられた。そして瞬く間に失われた。いまいちばん難しいのは夢を語ることかもしれない。
グーグルが出資したキャリコという医療ベンチャーがある。ラリー・ペイジによると「健康、福利、長寿」にフォーカスした企業らしい。老化や老化関連の病気の発生を抑えるとか、長寿につながる治療薬の研究開発をめざすと言っている。否定はしないが、いくらお金を得たところで、せいぜい買えるのはそういったものでしかないのだ。長生きと延命、しかし心の奥に巣食った虚無を埋めるものは、お金では買えない。
ジョブズがデザインした世界は、すでに多くの人にとって生きることのデフォルトになっている。それをリセットすることは、おそらくできない。ワクチンや医療ベンチャーとともに、消耗疲弊して焼き切れるところまで行くだろう。いま考えるべきことは、ジョブズがデザインした世界に、まったく別の新しい世界を上書きすることだ。彼のいない未来を、自分たちの足で歩いていくために。ぼくはできると思っている。
文・片山恭一
かたやま・きょういち/作家。1959年、愛媛県生まれ。86年「気配」で文學界新人賞を受賞。2001年刊行の『世界の中心で、愛をさけぶ』がベストセラーになり、ドラマや映画に。写真家の小平尚典とは国内外を旅する旧知の仲
写真・小平尚典
こひら・なおのり/フォトジャーナリスト。1954年、北九州市生まれ。87年に米国に移住し、若きIT革命の旗手たちを撮影取材。ジョブズ氏の貴重な写真を後世に残すべく米スタンフォード大学に寄贈。ウェブサイトで見られる
※AERA 2021年10月11日号