![現在のパッケージ(提供)](https://aeradot.ismcdn.jp/mwimgs/5/1/840mw/img_51c2b9f53d02cbf1d751219603d843aa97973.jpg)
定番の棒付きアイス「ガリガリ君」が今年、発売から40周年を迎えた。販売本数はいまや年4億本を超え、“国民食”と言っていいほど定着した。だが普及するまでには、思わぬ苦労もあった。不惑を迎えた人気アイスの歴史を振り返る。
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ガリガリ君が生まれたのは、歌手・寺尾聰(あきら)が歌う「ルビーの指環」が日本レコード大賞を受賞した1981年のこと。アイス専業メーカーの赤城(あかぎ)乳業(埼玉県深谷市)が「子どもが遊びながら片手で食べられるかき氷ができないか」と開発に取り組んだのが原点だ。
当時は、64年発売の大ヒット商品、カップかき氷「赤城しぐれ」の売り上げが落ち込んでいた。第2次石油危機への対応を誤ったからだ。危機によるコスト高を吸収するため値上げに踏み切ったものの、ほかのメーカーは価格をすえ置き、客離れを招いた。
その結果「会社もちょっと傾きかけた」(広報担当の広瀬裕美さん)。ガリガリ君は、会社の起死回生を図る狙いもあった。
第1弾をソーダ味にしたのは、炭酸飲料が当時の子どもたちに人気だったから。狙いは当たり、定番の味として浸透する。ソーダといえば水色をイメージするのも、ガリガリ君の功績が大きい。青空や海を念頭に決めたのだという。
![発売当初のパッケージ。学生服を着ている(提供)](https://aeradot.ismcdn.jp/mwimgs/8/7/264mw/img_8773e5d3af1c1790b5d2f345e0e77aac37856.jpg)
名前は「ガリガリ」という氷をかじる音が由来。当時専務だった井上秀樹・現会長が「『ガリガリ』だけじゃさみしいから」と「君」をつけた。同時に「『君』をつけたからには、それに見合ったキャラクターも必要だ」というわけで、「わんぱくなガキ大将」のイメージに行き着く。絵が得意な社員がイラストを考案した。
その後、キャラとしての“成長”の過程は必ずしも順風満帆ではなかった。今の設定は「小学生」だが、当初は「中学3年生」。服装も学生服だ。それが86年からランニングシャツ姿になり、91年からは半そでやTシャツ姿も混在するように。さらに大きく変わったのが2000年。前出の広瀬さんが解説する。