八王子城の「御主殿の滝」/落城の際、城代の横地監物は脱出した後に切腹。御主殿付近に残された家臣や婦女子は滝の上流で自刃し、次々にこの滝に身を投じたという逸話が残る。
八王子城の「御主殿の滝」/落城の際、城代の横地監物は脱出した後に切腹。御主殿付近に残された家臣や婦女子は滝の上流で自刃し、次々にこの滝に身を投じたという逸話が残る。

――鳥取城の見どころは?

 秀吉が本陣を置いたとされる太閤ヶ平からの景色です。眼下に鳥取城を見下ろすことができる壮大な景色で、当時の戦いの様子が目に浮かびます。

 小谷城は、浅井亮政・久政・長政の3代が居城とした難攻不落の名城です。普通に攻めても落とすのは難しい。攻撃側の織田信長も、小谷城を落とすのに約3年を費やしています。最期は浅井久政・長政父子が、お市の方と3人の娘を敵に引き渡したあと、城を枕に討ち死にするという、絵に描いたような落城の仕方です。小谷城は、私が昔から何度となく上った城で愛着もあるので、2位に入れました。

週刊朝日ムック『歴史道 Vol.17』から
週刊朝日ムック『歴史道 Vol.17』から

――女性がからむと、より悲劇性が増しますね。

 第3位の岩村城もまさにそうです。女城主の城として知られる岩村城ですが、織田信長の叔母にあたる遠山夫人が、武田家臣の秋山虎繁と結婚して岩村城は武田方になります。これを信長が攻めるわけですが、秋山は信長の和平交渉を受け入れて城を出たところを捕らえられ、長良川で磔になり、遠山夫人も殺されてしまいます。これも山城の落城悲話としては落とせませんね。

 そして、秀吉の小田原攻めのときに落城した八王子城。激しい戦いの末、落城の際に残された婦女子が身を投げたと伝わる御主殿の滝が今も残っています。この滝に本当に身を投げたかどうかはわかりませんが、武将だけでなく女子がたくさん亡くなったというのは事実でしょう。落城の悲劇を伝え、印象深いですね。

高天神城の遠景/武田信玄が攻め落とせなかった堅城だが、息子の勝頼が落として武田方に。信長は武田の退潮をアピールするため、降伏を許さなかった。
高天神城の遠景/武田信玄が攻め落とせなかった堅城だが、息子の勝頼が落として武田方に。信長は武田の退潮をアピールするため、降伏を許さなかった。

 高天神城の落城は、ちょっと異色です。通常、城方が降伏すると講和を結んで開城となるのですが、攻め手側の織田信長は降伏を許さなかったため、城を守る武田方の岡部元信以下家臣たちは城から打って出て討ち死にしました。信長は、武田方にはもう高天神城を守る力がないということを周辺の国衆らにアピールする意図があったのでしょう。

――降伏さえできずに落城した、と。

 信長の戦略的な意図で落城させられたという意味で、実に悲劇的です。

――第10位にあげていただいた岩屋城の戦いも、戦国ファンには人気です。

 岩屋城の城主高橋紹運は、私は名将だと思っています。それが島津氏に攻められ絶体絶命になる。息子の立花宗茂にも降伏を勧められますが、主君である大友氏から岩屋城を任された以上、何としても城を守りぬく覚悟で戦いを続け、家臣とともに壮烈な最期を遂げます。戦国時代的な武士の道徳観念が非常に色濃く出ている落城物語です。

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