一見、「天守や櫓がなく、土と山だけ」と思われがちな山城。しかし開発にさらされがちな平城等に比して保存状態が良く、ほぼ往時の姿をとどめている山城も多い。土塁、石垣、堀切……。ぜひ現地で遺構に目をこらして、戦国の武者たちに思いを馳せていただきたい。週刊朝日ムック『歴史道 Vol.17』では、「戦国の山城の歩き方」を特集。3人の専門家に「オススメの山城」を推薦してもらった。今回は、静岡大学名誉教授で日本城郭協会理事長の小和田哲男氏のベスト10。選定のテーマは「落城悲話に惹かれる山城」だ。
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――今回は、落城悲話に惹かれる城をご紹介いただきたいと思います。城をめぐる合戦というと、落城をめぐるさまざまな物語が思い浮かびます。どのようなところが心に残りますか。
山城は、櫓や塀など目立つ遺構がない場合も多いです。それだけに、その地に秘められた悲話を知ってから訪れると、より一層リアルな情景を思い浮かべられると思います。なお、悲惨な籠城戦というのは、数限りなくありますが、今回はあくまでも山城に限定しているということは、ご承知おきください。
まずは鳥取城です。羽柴秀吉によって、鳥取の「飢え殺し」と呼ばれる兵糧攻めが行われた城です。おそらく我が国で起きた籠城戦のうち、もっとも悲惨なものの一つでしょう。兵糧攻めで、飢えた城兵が草や木の根まで食べたという話はいくつもありますが、ついに味方の人肉まで食べたという逸話が残るのは、鳥取城攻めくらいでしょう。しかし、攻めた秀吉の側からすると、後に天下人となる栄光の「太閤秀吉物語」の一ページを飾る、重要な戦いです、秀吉は別所長治が守る播磨の三木城でも兵糧攻めを行いましたが、城方に兵糧米が潤沢にあったため、城を落とすのに1年10カ月もかかってしまった。鳥取城攻めは、その経験に学んだ秀吉が、事前に城下の米を買い占め、さらに民衆を襲って城に追い込み、城内の食い扶持を増やしておくという策略を用いて、落とすことができました。