彼らの逃げる先には「死」しかない。死の瞬間が恋の絶頂になる。それが心中物だ。
忠兵衛役の田中哲司、与兵衛役の松田龍平、遊女梅川の笹本玲奈、与兵衛の妻お亀の石橋静河。若く世間を知らない登場人物にはもっと生きてもらいたいと切なくなった。しかし、世間知らずゆえの純情もあった。石倉三郎は大尽、丹波屋八右衛門を演じて深い懐を見せた。「何百年経とうが、男と女っていうのはこういうことなんでしょうね」と石倉は言う。
劇場へ向かうみなとみらい線の乗客はマスク姿でスマホに見入っていた。無言の風景に「巡礼」という言葉が浮かんだ。長塚圭史の芝居なら全て観ようと足を運ぶ僕もまた巡礼者だろう。巡礼とは祈りの道筋である。
鑑賞後、圭史に挨拶し、歩いてすぐの山下公園を歩いた。「近松心中物語」で火照った心を冷ますためだ。圭史が示した男と女の道行の機微が横浜港に浮かんでは沈む。それは生と死の境界線。スチャダラパーの奏でたリズムはその境界を巧みに結び、心の中で虚実を行ったり来たり。そんな彼岸の夕暮れを愉しんだ。
延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞
※週刊朝日 2021年10月22日号