先輩芸人からは、「ギャラを貯金するなんて、芸人の風上にも置けねぇ」と冷やかされはしたが、その貯金は、結婚するときに大いに助かった。

「踊り子さんに、『これでたばこでも』とチップを1万円もらったこともありました。お酒は、毎日のように先輩に奢ってもらえるし、ストリップ劇場はネタの宝庫でしたね。性別や年齢や職業に関わらず、野放図な人たちが大勢いたので」

 20代後半から、テレビ番組に誘われるようになった。ただ、コントのネタを披露できる番組は好きだが、バラエティー番組で瞬発力のあるコメントをするのは苦手だった。

「フリートークは、からきしダメでしたね……。今だったらそんなに悩まずにコメントできるかもしれないけれど、当時は悩みました。コメディアンとして仕事をもらえるようになったのは有り難かったですが、司会やコメンテーターとしての役回りは、物凄く苦手だと30代半ばで気づいてしまった。そんな頃、北野武さんの『キッズ・リターン』という映画がきっかけで、役者としても少し認められて。そこから役者の仕事も来るようになったんです」

 話は少し前後するが、モロさんは34歳ぐらいのときに、落語家の春風亭昇太さんらと一緒にコントをやったことがある。場所は池袋の文芸坐。今をときめく柳家喬太郎さん、三遊亭白鳥さんらも出演していた。

「結婚してまだ間もない時期で、芸人をやってるカミさんが、『せっかくサラリーマンコントのネタを持ってるんだから、サラリーマン落語をやればいいじゃない』と。最初は軽い気持ちで始めてみたら、素人落語がすごく受けまして。正直、落語と言えるような代物じゃなくて、ただくすぐりがいっぱい散らばっている、漫談崩れの内容ですが、『背広を着ながら落語ってなんだよ』と、周りも面白がってくれた」

 以来、落語の勉強もずっと続けているが、今になって、語りの難しさをヒシヒシと感じるようになった。

「落語は、見せるんじゃなく聞かせる芸なので、ちょっとした間とか、セリフの流れの中で、お客さんに想像して楽しんでもらわなきゃならない。そのことが、30年近く落語を勉強して、やっとわかるようになりました。落語は奥深いです」

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