ほとんどが、成り行き任せの人生だった。

モロ師岡 (撮影/写真部・張溢文)
モロ師岡 (撮影/写真部・張溢文)
この記事の写真をすべて見る

「川に流れる小枝のように流されっぱなし。抵抗したこともないです。はたからは楽しそうに見えるかもしれないけど、新しいことを試すたびに、撃沈されないよう、いちおう努力はしているつもりです」

 俳優・コメディアンのモロ師岡さんは大学在学中に、役者を志した。新劇を上演する劇団に入団し、卒業後も、バイトで食いつなげばなんとかなると思い、就職活動はしなかった。周りの仲間たちは、いつの間にか夢を諦め就職活動をしていたが、モロさんはそれに気づかずにいた。

「いざ卒業するとなったとき、就職しないのは仲間内で俺だけ(苦笑)。『いつの間に就職活動なんてやっていやがったんだ? この卑怯者!』と心の中で悪態をつきつつ、もう一人、『就職しないでバイトやる』って言っていたヤツと2人で、『いっそ、芝居じゃなくてコントでもやるか』と。新劇をやっていても、なかなか大きい役はもらえなかったし、もともとがせっかちなので、お笑いで自分がメインを張りながら芝居と似たことをやったほうが近道じゃないかと思ったんです。ネタを書くのは好きだったので、六本木の、裸の男が踊るショーパブでコントをやって、今から約40年前に、月20万ぐらい稼いでました」

 すると、芸人の先輩から、「こんなところでやっていても腕は上がらないぞ! ストリップ劇場で修業しろ!」と言われ、無理やりショーパブを辞めさせられた。

「店の売り物が、裸の男から裸の女になっただけの違いでしたが、ストリップ小屋は、ものすごくギャラが安かった。ワンステージ500円が1日4ステージあるんですが、365日休みなしで、朝の10時半から夜の9時半まで、修業中の芸人はずっと劇場から出てはいけない決まりで。結局、アパートを引き払って、楽屋で寝泊まりするようになった。食事は先輩がご馳走してくれるから、毎日500円支給される食事代も含め、1日2500円、丸々貯金できました(笑)」

次のページ