中将:1970年代末からの沢田さんの凝ったビジュアル方針は一部関係者の反発を呼び、井上堯之バンドの解散に繋がったと聞きます。

早川:関係者の反発はあってもおかしくないだろうなと思ってましたが、井上バンドのことは今初めて聞きました。井上さんはやはり音で勝負されるタイプの方なので、言われてみれば無理があったのかなと思いますね。すでにああいう路線でウケちゃってたから今さら地味にするわけにもいかないし、日本の歌謡界やロックシーンもよりビジュアル志向に変化しつつありました。

中将:1981~84年のエキゾティクス期は沢田さん含めメンバー全員が統一されたコンセプトの衣装をまとい、視覚的な演出の完成度がきわめて高くなった時期だと思います。折しも「MTV」が放送開始し、ミュージックビデオが流行する時期と重なりますが、意識される部分はあったでしょうか?

早川:「MTV」はよく観ていました。技術的に面白いとは思いましたが、特別意識したり印象に残るってことはなかったですね。

 たぶんああいったものを作ってた人たちと僕とでは発想が違うんじゃないでしょうか。僕はそもそも沢田さんとの仕事で、クリエイティブなことをやりたいって思いは全然ないんですよ。結果的に面白くなれば衣装や演出はモノマネでもコスプレでもいいと思ってますから。一見独創的に見える「TOKIO」にしたって「フラッシュ・ゴードン」っていう戦前のアメコミ映画に出てきた衣装がモチーフですし。

 1980年代で言うと、「晴れのちBLUE BOY」の迷彩服は「マッシュ」から連想したアメリカ軍の「変態二等兵」というイメージ。紅白で着た軍服は「203高地」のイメージで、言わなきゃわからないと思うけど、三島由紀夫の絶筆みたいなのをプリントしています。既存のものからイメージをふくらませて、いろんな要素を組み合わせて作っているので、映画監督がしたい人とかとは根本的に違うと思うんですね。

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「僕と沢田さんってほとんど話しないんですよ」