1965年の歌手デビュー以来、最前線を走ってきた加藤登紀子さん。コロナ禍のここ2年は苦しいこと、悲しいこと、でも嬉しいこともあった。どんなときも立ち止まることなく、突き進んだ五十余年のストーリーを聞いた。

12月25・26日にヒューリックホール東京で「ほろ酔いコンサート2021」が開催 (撮影/写真部・高野楓菜)
12月25・26日にヒューリックホール東京で「ほろ酔いコンサート2021」が開催 (撮影/写真部・高野楓菜)

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「2020年を迎える直前に中村哲さんが亡くなったと聞き、とても大きなショックを受けました」

 19年12月、アフガニスタンで、人道支援に取り組んできたNGO「ペシャワール会」の現地代表で、医師の中村哲さん(当時73)の乗った車が何者かに銃撃された。灌漑(かんがい)工事の現場に車で向かう途中だったという。

 加藤さんは、中村さんとの出会いについてこう語る。

「私が哲さんのことを知ったのは、テレビ番組でした。01年9月11日に起きた同時多発テロに対する空爆のさなかでも、アフガニスタンで人道支援に取り組む、哲さんのドキュメンタリー番組を何度も見て、強い印象を持っていたんです。だから、哲さんに初めてお会いしたときも、初めてではないような、“お帰りなさい”という感じでした」

 中村さんは、『医者 井戸を掘る』(石風社)などの著作を多数出版し、「井戸を掘る人」として知られていた。アフガニスタンは干ばつがひどく、すぐに土地が干上がる。医者は、病人やけが人を治療して一人ずつしか助けられないが、水があれば多くの人を救うことができると、灌漑工事や医療支援を長く続けてきた。

「アフガニスタンでの活動のお手伝いをしたいと考え、『ほろ酔いコンサート』で募金活動を始めました。それは今も続いています。02年の年明けすぐに募金をお渡しするために、知人を介して一時帰国している哲さんに初めてお会いすることができました」

 訥々(とつとつ)とではあるが、必要なことを伝わりやすく、ほんのりとユーモアのある言葉で話す、中村さんの姿にすぐに引きこまれたという。

 一方の中村さんも、加藤さんと会うことを楽しみにしていた。そして別れ際に照れくさそうに、「ずっとファンでした。サインしてください」と、CDを差し出したのだ。

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