お子さま方の教育も同じだ。秋篠宮ご夫妻は、お子さま方が幼いころから国内外の自然に触れ、土地の文化を学ぶ機会を積んできた。
また、2008年に行われた眞子さんの初の単独公務が興味深い。内容は在来馬、野間馬(のまうま)の贈呈式だった。野間馬は絶滅の危機にあったが、愛媛県今治市が保護・繁殖に取り組んでいるという。そして悠仁さまが7歳を迎えた2013年には、秋篠宮ご夫妻と悠仁さまは、沖縄を旅行し、沖縄や九州の在来家畜の与那国馬や島ヒージャー(ヤギ)、口之島牛と触れ合った。これらは、川嶋さんの研究と重なる分野も少なくない。
もちろん秋篠宮家の研究や学びは、ほかにも多くの人びとの支えに助けられている。この沖縄旅行には、上皇后美智子さまの親族で、家畜の遺伝について研究をしていた東大名誉教授の正田陽一さんも同行している。
美智子さまの親族である正田氏も秋篠宮家の「学び」を支えるひとりだった。秋篠宮さまとは、研究の会合でよく顔を合わせ、秋篠宮ご夫妻が中国の雲南省の少数民族が住む村への調査旅行に行った際も同行している。
◆多くは語らずも、父親として祖父として見守った
皇室について語ることこそ無かったが、川嶋さんは、秋篠宮ご夫妻と孫たちを見守り、強い絆で結ばれていた。
紀子さまの結婚には当時(1990年)、反対する声は強かった。兄に先んじた結婚だったからだ。川嶋さんは、娘の紀子さまにこう呼びかけたという。
<辰彦さんは、娘に「何かあればいつでも(離婚して)戻ってきていいんだよ」と呼びかけている。「僕ら(両親)はいつだって、君のシェルターになるんだからね」と>(10月26日付朝日新聞>
そして91年に紀子さまが第一子を懐妊したことが明らかになると、白居易の詩に重ねて、初孫が誕生する喜びを表現したという。
眞子さまが宮内庁病院で生まれたとき、川嶋さんは懐妊のとき同じように、白居易の詩、「春題湖上」の「碧毯線頭抽早稲 青羅裙帯展新蒲」の二句を引いて、「瑞々しく輝く早稲の穂と芽吹いたばかりの蒲の穂」に初孫の誕生を重ねて喜びを託したと言われる。
小室さんの司法試験の不合格が判明し、新婚生活は、けわしいスタートとなった。
だが、祖父の川嶋さんは、眞子さん「穂」の芽吹きにたとえた。眞子さんの民間人としての人生も芽吹いたばかり。元内親王として、しっかりと歩んでいって欲しい。(AERAdot.編集部 永井貴子)