(c)2021 BLACKBOX FILM & MEDIENPRODUKTION GMBH
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「ヒトラーにしてやられた」──ユダヤ人として四つの収容所を生き延びたマルコ・ファインゴルト(撮影当時105歳)はカメラに向かって苦々しく語る。ドキュメンタリー映画「ユダヤ人の私」の1シーンだ。現代につながる「空気」の恐ろしさを鮮明に伝えている。

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 マルコ・ファインゴルトは1913年にハンガリーで生まれ、ウィーンで育った。強制収容所を生き延びた彼は70年以上にわたり、さまざまな場所でその体験を語ってきた。共同監督の一人、クリスティアン・クレーネス(60)は話す。

「カメラを向けたとき、まずマルコ自身と彼が語る物語の間に少し距離があると感じました。それがあるからこそ、彼はあの悲惨な体験を何千回も語ることができたのでしょう。そこで我々はもう少し深く掘り下げて質問をしました。すると記憶が蘇り、彼が感情を揺さぶられる瞬間が何度かありました」

 ナチス親衛隊の隊員がユダヤ人の母親から赤ん坊を奪い、壁にたたきつけて殺した──その凄惨な場面を思い出したときの動揺は特に顕著だった。

「彼は涙を浮かべて、数分間黙りこくってしまった。そして自分を立て直してから話を始めてくれました」

 収容所での体験談は痛々しく生々しい。だがこの映画が現代に響くのは、それだけが理由ではない。彼が語る当時の「社会の空気」があまりにもリアルに、現代を生きる我々に突きつけられるからだ。

 マルコ氏は38年3月、オーストリアとナチス・ドイツ併合の瞬間にウィーンの英雄広場にいた。そこで目撃したのはオーストリアの人々が熱狂的にナチス・ドイツを受け入れる様子だった。「オーストリアは侵略されたのではない。人々がヒトラーを受け入れたのだ」とマルコ氏は語る。相次ぐ内戦や政情不安で疲弊し困窮していたオーストリアの人々はヒトラーの「我々が助ける!」のメッセージを信じ、ホロコーストに加担した。クレーネス監督は話す。

「ドイツでは33年の選挙でのナチ党の勝利にはじまり第2次世界大戦の開戦まで、数年かけて社会は徐々に変化しました。しかしオーストリアはマルコ氏の証言どおり、一夜にして変貌し、人々はおおっぴらにユダヤ人を攻撃し始めたのです」

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