政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。
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韓国ソウルの人気スポット梨泰院(イテウォン)で起きた雑踏事故の犠牲者は156人にも及び、甚大な被害をもたらしました。1日に記者会見をした尹熙根(ユンヒグン)警察庁長官は、警察庁に独立した特別組織を設置する方針を示し、「事故直前に多数の通報があったにもかかわらず、対応が不十分だった」と不備を認めています。
事故からわずか数日で警察が警備の不備を認めるというのは、一見スピーディーな対応にも思えます。しかし、すでに一部の野党議員からは警備不足が起きた要因として、今年5月に大統領府を梨泰院のある龍山区(ヨンサング)に移転したことで、大統領府の警護を最重要視せざるを得なかったからではないかと指摘されています。大統領府の移転については世論調査でも移転反対が根強く、それを尹錫悦(ユンソンニョル)大統領が強行したという一面もあることから、今後は議会での追及がはじまりそうです。
韓国には警察と検察の暗闘があります。文在寅(ムンジェイン)政権は、検察に集中する権限をそぎ落として、その一部の権力を警察に移譲させようとしていました。ちなみに、現大統領の尹氏は元検察官で検事総長です。実は、警察と検察の暗闘こそが韓国の政治的な対立のアジェンダでもあるのです。
今回、警察による警備の不備が原因で甚大な事故が起こったということは、再び検察に権限が集中する状態に戻ることも考えられます。果たして、この先、警察関連トップの責任追及にまで及ぶのでしょうか。
ただし、これは同時に与党系の呉世勲(オセフン)ソウル市長への責任も問われることですから、非常にねじれた問題になりそうです。呉市長は、将来的に韓国の大統領選に出るのではと言われている人です。それゆえに今後、呉市長が政府とともにどう対応していくのかということも注目を集めています。
8年前のセウォル号の沈没事件が朴槿恵(パククネ)政権退陣の大きなきっかけになりました。セウォル号事件の時のようにすぐさま政治的な焦点になって政局がらみになるのか、ならないのか。30%前後の低支持率を行ったり来たりしている尹政権にとっても、非常に大きな問題になる可能性がありそうです。
◎姜尚中(カン・サンジュン)/1950年熊本市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、現在東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史。テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍
※AERA 2022年11月14日号