「家電マニア」だったので、パナソニックとソニーに絞った。が、「ソニーの社風はいいモノ作り、パナソニックはお客さんのハピネスなんです。お客さんが日常的にちょっと幸せを感じるのはいいなと思ってパナソニックを考えたのですが、父親に勧められてトヨタの懇親会に行ったら、『トヨタもお客さんの笑顔だよ』といわれて、トヨタに決めたんです」という。
10年、トヨタ自動車に入社早々、福澤は同期生たちをあっと驚かせたと、同じ年に入社した霜鳥拓斗(34)はいう。
「内定した時、同期の事務職だけで100人近くいたのですが、全国から来ているので互いに面識はないんです。彼は内定式が終わると、100人の飲み会を企画したんですよ。驚きました。僕が彼を知ったのもその時です」
霜鳥は、彼のそういう企画の才能に驚くというより「パッションを感じた」そうだ。
福澤が配属されたのは「ものづくり改革室」だった。仕入れ先の現場に行って「作りにくい」という声があったら、トヨタに持ち帰って図面を変えたりと、いわばものづくりのイノベーション部署だった。この部署の水にすっかり合ったらしく、生き生きとしていたのを霜鳥は覚えている。
「一緒に勉強やろうぜって、僕らに声をかけてきましてね。寮の彼の部屋に集まっていろいろ情報交換をしました。彼も、部品を発泡スチロールで作って、ここをこう変えたら作りやすいとか、自分のアイデアを説明するんです」
(文・奥野修司)
※記事の続きは2021年12月6日号でご覧いただけます。