トヨタの内定式のあとに
100人の飲み会を企画
福澤は東京生まれだが、父親が大手保険会社に勤務していて、転勤のたびに両親と妹の家族4人が全国各地へ引っ越した。たびたび生活環境が変わるのを嫌う人は多いが、福澤は違った。「引っ越しって旅行みたいで楽しい」という。驚いていると、「だって東京では狭い社宅だったのに、大分だと延べ床面積が2倍になるんですよ。庭もあるんだから、すごいじゃないですか」。
順応するのも早く、福澤に転校先でつらかった記憶はない。母親の福澤淑子(60)は、息子が引っ越すたびに新しい友だちができ、「自分も大人になったら絶対にサラリーマンになるぞ」といっていたのを思い出す。「モノより思い出」が口癖の父親は子煩悩だった。日曜日には必ず子どもたちと遊び、年に2、3回は家族旅行をした。「僕がネガティブ思考にならないのは、家庭に悲愴(ひそう)感がなかったから」と福澤がいうのは、そんな父親の存在があったからだ。彼に初めて会った時、会社の雰囲気がふんわりと明るい印象だったのは、そんな彼の生い立ちがあるのかもしれない。
学生時代から、福澤は「日常生活をちょっと良くするものを作りたい」と思い続けた。
「いつでも音楽が聴けるウォークマンの登場は、毎日を楽しい日常にしたと思うし、電灯がLEDに変わった時は感動しました。そんな付加価値に、僕は感謝するタイプです。だから、飛行機は線路の上を走ってるようなものだけど、3次元空間を自由自在に移動できたらめちゃ楽しいよね、なんてずっと思っていました」
東京大学では精密工学を学んだが、どうもこれは性に合わなかったらしい。
「ロボットとか作っていましたが、プログラミングでエラーが出たらデバッグ(バグを発見して改良する作業)するんだけど、どこでエラーが出たのか探すのが、めちゃだるいです。そういうのには向いてないんですね」
だから、大学では工学部に属しながら、経営学部でものづくりを学んだりしている。就職を考えるようになったとき、本来は理系なのだが、迷った末に文系で就職しようと考えた。