何だか薄暗い部屋に運ばれて手術台らしい場所に移され、一体この部屋に誰がいるのか、何人いるのかさっぱりわからないまま、僕は何をされるのかも、何の説明もないまま、事が進められているように思えた。身体のあちこちに注射を何本も打たれた。足首にも打たれたような気がする。もはや、「痛い」という気持ちもない。マナ板の鯉になるしかない。パンツも下ろされ、下の毛も剃られたような気配。やがて、「麻酔を打ちます」という声がするが、別に気絶もしなかった。何だかわからないが右手首の血管に何かが挿入されているようだが、いちいち反応する気もしない。一体何が行われているのか説明もない。また聞きもしない。
長い時間のあと、腰や背中が痛くなって動き始めると「もう少しで終わります。我慢して下さい」と言われてからの時間は地獄であった。「ハイごくろうさま」の声でやっと解放されて、再びどこかの部屋に移動しているようだ。やっと小さい個室のような所に運ばれたが、身体にチューブがやたらと沢山巻きついているように思えた。どこからか話し声が聞こえて「安倍さんが狙撃された」というようなことを言っているが、僕だって狙撃されている。安倍さんの問題は僕の問題でもあるように思えたが、この時は、安倍さんのことが大事件だとは思えなかった。自分の問題があまりに大きかったからだろう。
そして夜が来て、朝までチューブで巻きつけられたままで一睡もできない長い一日が終わった。さらに早朝から、4時間ばかりの点滴が始まった。チューブがあんまりわずらわしいので看護師さんに頼んでチューブを身体から取り除いてもらった。コロナのせいで面会は謝絶。動いていいのか、このまま寝た状態がいいのか、黙っていわば病院のいいなりになるだけだ。「いつ退院できるのか」と聞くと、あと2日ばかりという返事が返ってきた。入院延長すれば現在のような状況から逃れられないので、無理にお願いして自主退院をすることにした。心臓の大ケガだったらしいが、とにかく帰りたい一心で無理矢理退院してしまった。結果はよかったのか悪かったのかわからなかったが、2日後、病院を訪れて、初めて手術をしてもらった先生に会った。「まるで神の手のように上手く手術ができました」という先生の言葉に安心することができた。
僕にとっては大冒険旅行から帰ってきた気分だったが、先生は2週間は絵を描かないようにして下さいと言われた。そして2週間が経った次の日に一日で100号を3点も描いた。制作の禁断症状が解放された喜びで、一気に沢山描いてしまった。
横尾忠則(よこお・ただのり)/1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。2011年度朝日賞。15年世界文化賞。20年東京都名誉都民顕彰
※週刊朝日 2023年2月3日号