計画通りに生きた代表選手は三島由紀夫です。三島さんが携帯している小さい手帖にはスケジュールがビッシリ書き込まれていました。旅をしても、何時何分にホテルを発って、ディズニーランドで、何時まで、何時にホテルで取材を受ける。それだけならまだいい、何時に最後の原稿を取りにくるよう編集者に指定して、何時に家を出て何時に市ケ谷の陸上自衛隊市ケ谷駐屯地へ到着して、何時に何を、と死ぬ日時も決定する生き方。同じ計画通りに生きるならここまで徹底すればお見事というしかない。

 こんな自己を限定した生き方のできない僕は、最初から計画を立てない。自分の中に計画を立てる童(わらべ)がいて、小石を積み上げると、そこに、やはり自分の中に棲みついている鬼がやってきて金剛棒で小石の塔を壊してしまう。自分の中に創造と破壊の悪魔のような存在がいることを知っているので、僕は計画的生き方よりも、行きあたりばったりの偶然という運命に従う生き方を子供の頃から運命づけられていることに気づいていた。第一出生そのものが、本来の計画からはずれて、養子になる運命だった。

 その後の生き方も自分の意志に従うよりも、他動的な状況に従うことが大半だった。そして、その方が便利がいい、余計な努力も必要ない。相手と環境が自然に自分をしかるべき路に導いてくれることを、本能的に知覚認識していったように思う。従ってチャンスオペレーションという偶然を媒介にした芸術行為のような人生路線が引かれているように、何んとなく察知してしまったどこか他力まかせの生き方を選択してしまったように思う。全く非計画的な「計画」だ。

 三島さんに言わせると僕のような「偶然な生き方をする人間はアプレゲールだ」ということになる。と言う三島さんも心の奥でアプレゲールに憧れていたことを僕は知っていた。と同じように僕もどこかで計画への興味関心があるが、結局は創造vs.破壊のエネルギーによって計画をぶち壊してしまう。だから、現代の若者の計画的人生に対するビジョンにあきれると同時に、ヘェー、難問に対峙するんだなあと、感心してしまうのである。

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