中将:1970年代や1980年代のご自身の作品を振り返ってどのように思われますか?
早川:よくあんなものを一般家庭のお茶の間で放送していたなと思いますね(笑)。「憎みきれないろくでなし」(1977年)なんてパンクでしかも挑発的じゃないですか。ああいう発信が受け止められた時代って今思うとすごいですよね。
中将:早川さんと沢田さんの作品たちは、インターネットを通して10代やハタチそこそこの若者たちにも受け入れられています。作品が時代を超えて評価されることをどのように感じておられますか?
早川:マニアックな人たちですね(笑)。でもいつの時代も僕と同じようなことを考えている層は一定数いるんでしょうね。洗練だ機能美だと言って優雅に生きていける人間なんてほんの一握り。そういうものに反感を抱いたり、もっと生々しい表現に魅力を感じる若者がいてもおかしくないと思います。
中将:今回の作品集はそういう層にとってのバイブルになっていくのかなと感じます。
早川:そうなってくれれば出した甲斐がありますね。
中将:作品集が完成し世に出た感慨をお聞かせください。
早川:沢田さんの写真とデザイン画を自分でセレクトして出した作品集はこれまでなかったので、新鮮で嬉しいですね。やはり僕にとって絵の部分は重要なので。
あと、1979年に「天竜の酒 樹里」のCM用写真はあらゆる条件が最高の状態で撮影できた思い入れのある作品なので、この機会に大々的に紹介できて良かったです。あの頃、加瀬さんはもちろんマネージャーやスタッフのみなさんがとにかく一生懸命で情熱を持っていたし、沢田さんもそれにこたえて作品の世界観に没頭していました。僕が出す奇想天外なアイデアもどんどん採用してくれた。今思えばまれに見るバランスで成立していたコラボレーションだったんだと思います。
中将:沢田さんの音楽プロデュースのみならず早川さんを起用した加瀬さんの存在は、当時の作品づくりにも大きな影響を与えていたのでしょうか。
早川:そうですね。当時、いろんな歌手の方と仕事しましたが、沢田さん以外との仕事は一般の衣装デザイナーとそこまで変わらないものだったと思います。でも沢田さんの仕事の場合はプロデューサーの加瀬さんが僕のアイデアをめちゃくちゃ喜んでくれて、どんどん実現させてくれる。「LOVE 抱きしめたい」(1978年)でスタジオに雨を降らせたり「カサブランカ・ダンディ」(1979年)で口からウイスキーを吹き出したり……話をしてるうちにどんどんイメージが膨らんでいって、100%を超えて120%の所まで行けているような面白さがありました。
中将:1970年代後半から1980年代にかけてビジュアル面の演出がどんどん過激になっていきましたが、沢田さん自身はどう感じていたんでしょうか?
早川:沢田さんがああいう路線のことをどう思っていたかは僕にもわかりません。長年、一緒に仕事していてもお互いほとんど会話もなくて感想も聞きませんでしたから。
でも、当時たまにメディアで「僕は早川君の発想はとても気に入ってます」とか「僕はまな板の上の鯉です」って言ってくれてるのを見たり聞いたりしました。これは沢田さん流の人心掌握術かもしれませんが、そうだとしても粋な計らいだし、言われた側は嬉しいですよね(笑)。