「Rock'n' Tour '78田園コロシアムコンサート」撮影:山田正裕 1978
「Rock'n' Tour '78田園コロシアムコンサート」撮影:山田正裕 1978

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中将タカノリ:初め谷さんから作品集の制作をオファーされた時、どのように思われましたか?

早川タケジ:「なんでだろうと?」とびっくりしました。20年前にも「Paradis, Paradis - 早川タケジ作品集」(リトルモア)という作品集は出しているし、沢田さんとの仕事もヒット曲連発だった頃のように注目されてるわけじゃない。「歴史に残したい」とか言ってもらえて有難いけど少しおおげさじゃないかなと(笑)。そんなに売れるわけでもないだろうから何度も引き留めたんですが、どうしても出したいとおっしゃってくれるので最終的に引き受けました。

中将:制作する中で久しぶりにご覧になった作品もあったかと思いますが、全部覚えてらっしゃるもんでしょうか。

早川:基本的に覚えているつもりなんだけど、数十年の中には僕が関わらなかったものもあるので複雑ですよね。加瀬邦彦さんがプロデュースから離れた直後の「灰とダイヤモンド」(1985年)なんかもそうなんだけど「これも早川さんが作ったものですか?」と聞かれると迷ってしまってなかなか即答できませんでした(笑)。

中将:50年近く関わってこられてますもんね。膨大な数の作品を把握するだけでも大変そうです。

早川:特別なカメラマンが撮影したもの以外のポジフィルムはほとんど僕が保管しているんですが、それを整理してセレクトする作業が本当に大変でした。沢田さんの写真の場合、衣装だけじゃなくて顔の写りや表情もものすごく大事な要素になってきます。変なものを出すわけにはいかないから慎重に確認を重ねて……それだけで数ヵ月かかりましたね。ストレスだったのか、人生で初めて偏頭痛を起こしましたよ(笑)。

中将:以降の作業も多くの試行錯誤があったと聞きました。

「ジュリーの樹里」撮影:横木安良夫 1979
「ジュリーの樹里」撮影:横木安良夫 1979

早川:作品ごとにシチュエーションや打ち出し方も違えば撮ってるカメラマンも違う。しかも数十年の時間の経過がある。それを一つの作品集としてまとめるとなると相当なディレクションと各工程を担当する人たちとの意思疎通が必要なんですね。僕もいろいろと口出しさせていただいて、輪転機で印刷するところにも何日も立ち会いました。

 みんな大変だったと思うけど、印刷屋さんの負担は特に大きかったんじゃないかな。500ページ以上にわたって、それぞれ出したい色味や質感、カメラマンのフィーリングまで細かく伝えて何回も調整するんです。僕と沢田さんがガンガンやってた頃と違って、今の日本ってそんなに余裕がないじゃないですが。他の仕事もある中でよくこんな昔気質の人間ののんびりした作業に向き合ってくれたなと。

 それに編集者、プロデューサーとして企画をまとめあげてくれた熊谷さん。現代ではあり得ないような内容だし、何ヵ月も延期になるし、そんな企画をまとめあげるには相当なご苦労があったと思います。関係者みんなが他の何かを犠牲にしてでも頑張ってくれた。本当に感謝ですね。

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