展子さんが大人になって高校の同窓会のとき、当時の国語の先生に「あなたに国語を教えるのは、緊張してすごく嫌だった」と告白されたことがあった。また、引っ越しをするとき、作家の家族が越してくると近所で噂になっていたと後に聞いて驚いたことがあるそうだ。ただ、いつまでも展子さんにとっては藤沢周平より小菅留治である。
父とのことで今も思い出すことがある。高校生のとき展子さんは当時はやりの服装をしていた。ヒールの高いサンダルにタイトなスカートとアロハシャツ、あるいはつなぎなど。その格好を見て苦言を呈した。そのことは「役に立つ言葉」というエッセーに、
「最近の高校生の服装というものは、制服を着換えると一種異様なものになる。親から見るとチンドン屋をまねているとしか見えないが、これが流行だと言われれば眼をつぶるしかない。しかし……」
と書かれている。
「人は外見で判断してはいけないけど、じっさいの世の中はそうは見てくれない。その一方、私には人は見た目で判断してはいけないと言いました。そのことがわかるのはずっと先のことですが……。私の服装に対して頭ごなしにダメだというのではなく、やさしく諭してくれました」
そのことが展子さんの子育てにも影響したそうだ。「父・小菅留治」が家族を何より大切に思っているからこその言葉だろう。藤沢は孫のために2編の童話を書いたこともあった。
こうして家族を大切にした藤沢がよく口にしていた言葉に、「挨拶は基本」「いつも謙虚に、感謝の気持ちを忘れない」「謝るときは、素直に非を認めて潔く謝る」「派手なことは嫌い、目立つことはしない」「自慢はしない」、そして「普通が一番」である。これらの藤沢の言葉の思いはすべての作品の根底に流れ、同時に人にとってどれも当たり前のようなことである。
しかし、その当たり前のことがいかに脆く、困難であるかを藤沢は身をもって知っていた。そのことを思い続け、作家と父・小菅留治の間を行き来していた。その間には「家族」という大きな柱に支えられた「普通の生活」という名の橋があった。いずれの側に行くにも普通を一番に考えねばならない。
普通の生活、いや王道をゆくことを常とした、藤沢周平が大事にしていた「普通が一番」という考えは、今を生きる人に投げかけた大きなテーマであるのかもしれない。(本誌・鮎川哲也)
※週刊朝日 2022年11月11日号