ただ、自宅の仕事場から戻ると、作家・藤沢周平から父・小菅留治(本名)に戻り、家庭人の顔を見せた。
「お父さんは仕事をしているとき、私の友達が遊びに来ていると、『いらっしゃい』ってよく顔を出すんです。そのときの格好がステテコ姿だったりしてちょっと恥ずかしかったです」
小学生の頃は、遊びに来た子どもたちがいくら大騒ぎしても気にすることなく、やさしく接していたとも展子さんは話す。それは藤沢が学校の教員をしていたからだろうと話した。藤沢は娘の展子さんの話もよく聞いた。
「私が中学生から高校生の頃、学校から帰るとすぐ父に学校で起こったことを話していました。それだけでなく、私の周りのいろんなことを話すと、ふんふんとよく聞いてくれました」
じつはこれにはからくりがあった。
「大人になって父の小説を読むと、あのとき話したことや自分の周りのことを書いているのを知りました。つまり私の話をネタにしていたんです」と展子さん。
そう考えて読み直すと、これは私の友達のことだとか、あの話は近所のおばさんの家のことだと実感した。ただ、日常を作品に取り込むあまり、娘がかどわかされる小説を書いていたとき、自分の娘が心配になり、「もし、誘拐されたら、うちにはいくらくらいまでならお金があるから出せます、と父が考えていると犯人に伝えなさいと言われたことがあります」と、執筆に熱中していたさまを教えてくれた。
これほどまでに藤沢は小説に真摯に向き合い、小説を書く以外の仕事はしなかった。
「あるとき、コーヒーのCMの話が来たのです。『お父さん、やればよかったのに……』と言ったら、『本業以外はやらない』と言われました」
と少し残念そうに話した。でも、CMに出たのが遠藤周作さんでよかったと思う、と続けた。
ひょっとしたら「違いがわかる男」は藤沢だったかもしれない。
展子さんは父を作家・藤沢周平として意識したことはほとんどない。現在、藤沢周平事務所で夫の遠藤崇寿さんと著作権などを管理しているが、夫が作家・藤沢周平の担当で、自分は父・小菅留治の担当だと話す。