
ゾルゲは近衛文麿政権の内閣嘱託に就いていた尾崎を通じ、7月2日の御前会議で決定された内容を掌握。7月10日の電報でこう伝えた。
<サイゴン(インドシナ)への軍事行動計画を変更しないことが、御前会議で決定された。ただし、赤軍の敗北に備えて、対ソ軍事行動の準備をしておくことも同時に決定された>。情報本部は<この情報は信頼に値する>と評価。その後、ソ連は日本の対ソ参戦はないと確信し、極東・シベリアの精鋭部隊をモスクワ戦線に投入、反転攻勢へとつなげていく。
「ゾルゲは10月に逮捕され、ドイツ大使館からソ連に情報が筒抜けになっていたことが明らかになります。日独間の信頼関係は失墜し、軍事的な連携にひびが入った。それはある意味、最大の功績と言っていい。日本は真珠湾攻撃をする際、ドイツには事前に一切知らせていません。日本は単独で日米開戦へと突入していくのです」(名越氏)
ゾルゲたちを命まで賭したスパイ活動へ駆り立てたものは何か。今年11月7日に発足する「尾崎=ゾルゲ研究会」事務局長の鈴木規夫・愛知大学教授が語る。
「1930年代の世界は、現在の自国優先主義のような偏狭なナショナリズムが蔓延(まんえん)していました。このため戦争が起きるのですが、その中でゾルゲと尾崎は共産主義者として、インターナショナリズム(国際主義)を共有していました。最終的に世界平和を目指すために、まずは日ソ間の戦争を回避させるという同じ使命感を持ったのです」
ゾルゲと尾崎に死刑が執行されたのは、44年11月7日。ロシア革命記念日だった──。(本誌・亀井洋志)
※週刊朝日 2022年11月11日号