ゾルゲの盟友だった尾崎秀実
ゾルゲの盟友だった尾崎秀実

 ドイツ大使館員らを情報源としたゾルゲは、盟友だった朝日新聞記者の尾崎秀実(ほつみ)とともに、日本人エージェントを含む十数人のスパイ網を構築した。

 ソ連は39年8月、英仏との対立を強めるドイツとの間で独ソ不可侵条約を締結。同年9月、ポーランドに侵攻したドイツに対して英仏が宣戦布告し、第2次世界大戦が勃発する。一方で、ヒトラーは水面下でソ連侵攻作戦「バルバロッサ」の策定を進めていた。その動向を、ゾルゲは東京のドイツ大使館でキャッチする。41年3月10日、モスクワの情報本部へ次のような電報を送る。

<新任の武官は、今の戦争が終了したら、ドイツの激烈な対ソ戦争が始まるに違いないと考えている>

 5月2日には<オット(大使)は、ヒトラーはソ連を撃破し、ソ連欧州部を手中に収めて、ヨーロッパ全土を支配するための穀物と資源の基地にする決意だと述べた>と打電。さらに<ドイツの将軍たちは赤軍の戦闘能力を極めて低く評価しており、交戦すれば、数週間で粉砕できるとみている>と指摘している。

 6月1日には<6月15日前後に独ソ戦が始まる>と具体的な日付を明示。この情報は来日中のドイツ軍人で、ゾルゲと親交のあったショル中佐からもたらされたものだった。15日には<対ソ戦はおそらく6月末まで延期される>と訂正。20日には、<オットは、独ソ戦はもはや避けられないと私に語った>と報告する。名越氏が語る。

「5月2日の打電は最も有名ですが、今回、ドイツ軍のソ連攻撃を予告した電報が10本程度も公開されました。しかし、スターリンはゾルゲの再三の警告を無視し、ヒトラーを最後まで信用して戦争準備を怠ったのです。独ソ開戦の6月22日以降、情報本部のゾルゲに対する評価が好転します」

 41年4月、ソ連は日本と日ソ中立条約を締結したが、独ソ戦の開始によって、ドイツ、イタリアと三国同盟を結ぶ日本の動向を警戒せざるを得なくなった。当時、日本はソ連を攻撃する「北進」と、仏領インドシナに進駐する「南進」で国論が二分されていた。

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