傷つき、道なかばにして倒れるのは柱だけではない。死の危険が迫っていても「ここは俺に任せて君も先に行け!!」と戦う隊士(※村田/4巻)。「例えその時 自分が 生きてその人の傍らにいられなくとも 生きていて欲しい 生き抜いて欲しい」と遺書を残した者(※粂野匡近・19巻)。他にも名もなき者たちが、「行けー!!進めー!!前に出ろ!!」「臆するな 戦えーっ!!」と自分たちを鼓舞し、若くしてその命を散らしていった(※一般隊士/21巻)。

 煉獄杏寿郎の死は、ある意味で「鬼殺隊らしい」最期だった。しかし、それは“特攻”ではない。「死の美化」もされていない。彼が戦ったのは、誰かの命を守るため。命の尊さこそが語られている。この「生」の意味は、次の「遊郭編」にも受け継がれ、ある柱がそのメッセージを言葉にする。

■生き残ることは恥ずかしいことではない

 遊郭の鬼の探索中に、善逸が鬼に捕縛された。音柱・宇髄天元(うずい・てんげん)は、自らが「いくつもの判断を間違えた」と言い、残された炭治郎と伊之助だけでも脱出させようとする。

 炭治郎たちは、「無限列車」の戦いで、大切な柱・煉獄を目の前で失っていた。自らの弱さを恥じ、煉獄の死に対する重い責任を感じていた。そんな炭治郎たちに宇髄は声をかける。

<恥じるな 生きてる奴が勝ちなんだ 機会を見誤るんじゃない>(宇髄天元/9巻・第75話「それぞれの思い」)

 炭治郎たちを戦線から離脱させるつもりの宇髄は、この言葉を最後に伝えて単独で戦闘に向かおうとした。「後は俺一人で動く」と言った宇髄は、敵が「上弦の鬼」であることを予測しながら、不利な戦いに自分だけが残るつもりだった。炭治郎たちが罪の意識を感じないように、宇髄はこの言葉を発したのだろう。

 宇髄がわざわざ「恥じるな」と言ったのは、彼自身が、忍としての厳しい半生の中で、兄弟を失い、たくさんの命を目の前で失い続けていたからだ。宇髄は自分が生き残ってしまったことへの罪悪感を抱え続けている。

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「生きたい」と自らの幸せを許してやること