このように撮影されたいものが向こうからやってくるのはよくあることだと解説してくれた。対象がディレクションをし、撮らせてくれる。花が、動物や人が、向こうから語りかけてくる。だから、あとはシャッターを切るだけだと。
「そういうわけで、僕は誰かに見せようとか考えて撮ったことは一度もないのです」
その語りかけに気がつくかどうか、普通の人と自分の感性や気づきのようなセンサーの違いかなとも。ただ、多くの人は見えているようで、見逃していることも多いと感じている。
かつて東日本大震災の際の原発事故の後に福島に撮影に行ったときのことだ。藤原さんは植物の異変に気がついた。花の色が鮮やかで、大きくなり以前とは異なっていると感じた。だが、同行したチームのメンバーは気がついていないようだった。
「同じ道を一緒に歩いていたんですけどね……」
最近はそうしたことをつくづく感じる。写真は見ることが第一、シャッターを切るのは次のステップだ。見ているようで見ていない。気がつかずに、見えないというのは病とまでは言わないが、かなり深刻なことだと危惧する。
「写真に関していえば、スマホの目になっているのでしょうね。インスタで映えるとか、誰かに見せるために撮っている。だから見ていない。なんでこれが見えないの?と思うことは多い気がします。特に日本人の場合はそう感じます」
話を進めると、やはり藤原さんの場合は、特殊なセンサーがあるように感じる。
「僕は変わった人間かな? いや、むしろ普通ですよ。ただ巨大な同調圧力の中で生きている人とは違うでしょうね。そういう『社会』からずれると全く違う風景が見えますよ」
カメラを持つと立ち居振る舞いが変わってくるので、被写体に出会う確率が高くなる。カメラは面白いと少しほほえみながら話した。
藤原新也という写真家は私たちが見えていない、いや本来見えているはずの世界を見せてくれる。
この写真展は藤原新也が50年世界を漂流してきた視点を改めて突きつけてくれる。(本誌・鮎川哲也)
※週刊朝日 2023年2月3日号