姜尚中(カン・サンジュン)/東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史
姜尚中(カン・サンジュン)/東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史
この記事の写真をすべて見る

 政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。

*  *  *

 日米首脳会談で、バイデン大統領は日本の敵基地攻撃能力(反撃能力)の保有や防衛力の強化、防衛費の大幅な増額の方針にご満悦のようでしたが、在日米軍が矛、自衛隊が盾の役割を担うこれまでの日米安保からの転換が、国会や国民的な議論もないまま既成事実となることに戸惑いを覚えざるをえません。今後、日本の軍事力はどこまで矛としての攻撃能力を持つことになるのか、そのリミットがなくなる危険があるからです。

 攻撃は最大の防御。この戦略に従えば、専守防衛も、「専攻防衛」も言葉の遊戯にすぎなくなり、「攻」と「守」の区別など意味をなさなくなるはずです。懸念されるのは、文民統制下で政治家が「制服組」よりも過激になり、リミットのない軍拡に走る危険性です。湾岸戦争やイラク戦争を見れば分かる通り、シュワルツコフ中央軍司令官やパウエル統合参謀本部議長といった軍のエキスパートのトップは、ホワイトハウスのトップやその取り巻きの補佐官よりはるかに軍事力の行使に慎重であり、ある意味では「ハト派」でした。

 現在の日本の場合にも同じようなことが言えそうです。ロシアのウクライナ侵攻後、「ニュークリア・シェアリング(核共有論)」という、過激な観測気球を上げた安倍晋三元首相の発言はその典型でしょう。軍事のディレッタント(素人)が軍のエキスパートよりも過激になり、「攻撃は最大の防御」の戦略に前のめりになる危うさ。それこそ素人であるがゆえの、軍事への「無邪気な」前のめりと言えないでしょうか。

 日本の安全保障を戦争と平和のリアリズムから構想し、日本という国家の強さと弱さをしっかりと見極め、経済力も含めて国家の「体力」に相応しい持続可能な防衛力や外交戦略はどうあるべきなのか、総合力を踏まえた構想と戦略が必要なはずです。ただ責任分担で矛の役割を増やせば、より安心で安全だというのでは、この先、国債の乱発か、増税は避けられないはずです。天文学的な債務を抱え、30年にわたって賃金の伸びに勢いのない日本経済の「体力」は益々、衰えていくばかりに違いありません。本末転倒の防衛論議ではないでしょうか。

◎姜尚中(カン・サンジュン)/1950年本市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、現在東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史。テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍

AERA 2023年1月30日号