私は編集者時代、いわゆる特ダネ記者といわれる人たちとつきあったことがあったが、ついていけなかった。ある人は、ネタをとるために、省庁の同期三番目以内とだけつきあい、そこからえる人事情報で、三番目以下の人たちからペーパーを抜いていたりした。
確かに、特ダネはそれで抜けるだろうが、しかし、そうした人たちの書く原稿は、面白くなかった。その人ならではの切り口があるわけではない。そしてそうした記者たちは人を自分にとってどう利用できるか、で値踏みしていた。
その人でなければ書けない記事、その社でなければ見つけられない切り口、そうしたものに、人はお金を払って読む。そしてそうした記事こそが歴史に残る。
詩人の自由な心をもっていたからこそ社会問題に鋭く斬り込むジャーナリストたりえた。
今から半世紀近く前に書かれた外岡の啄木像は、そのままその後の外岡の姿であり、今日の新聞が歩まなければならない道を指ししめしている。
下山 進(しもやま・すすむ)/ ノンフィクション作家・上智大学新聞学科非常勤講師。メディア業界の構造変化や興廃を、綿密な取材をもとに鮮やかに描き、メディアのあるべき姿について発信してきた。主な著書に『2050年のメディア』(文藝春秋)など。
※週刊朝日 2022年10月14・21日合併号