シャラ ラジマさん(撮影/写真映像部・高橋奈緒)
シャラ ラジマさん(撮影/写真映像部・高橋奈緒)

 運命を変えた一本のコラムが生まれた背景には、友人と作った自費出版作品「ZINE(ジン)」が影響する。

「もう5年ほど前になりますが、私のコンセプトに初めて興味を示してくれたのが友人のharu.で。彼女が作っていた『HIGH(er) magazine』という雑誌で一緒に企画をしようと誘ってくれました」

 そこで初めてシャラさんが感じているマイノリティー性や違和感を、文章にした。だが、それを読んだ別の友人の一人から、「日本人が責められているように感じる」という感想が届いた。シャラさんは日本語を使っているけれど、もちろん特定の人種を責めるために文章を書いたわけではない。

「でも、こういう発言をすること自体が、『責められている』と思わせる題材になり得るんだと驚きました。相手との認識の遠さに途方にくれつつ、私のようなマイノリティーが前に出るだけで、何も攻撃をしてなくても、ドメスティックな考え方の人にとっては自分が責められて、攻撃されてるように感じるということを心の底から理解しました。でも、それって、こちらの存在をないことにして自分が安心したい、そんな気持ちからくる構造で、こっちをすごく下に見ていますよね?」

「常に反対側がいるよ」

 誰かを怒りたいわけでも、何かを煽りたいわけでもない。それなのに、責められていると感じる背景には何があるのか。分断を生まずに伝える方法を考えたとき、「リベラルと保守の狭間を生きる」ことに辿り着いた。

「どちらかといえばリベラルなほうだと自覚していますし、私の存在はリベラルな思想なしには存在し得ません。ただ、現在の人種、フェミニズムやLGBTQには似た構造の問題が孕んでいると考えています。私たちは自分に寛容になって欲しいのに、相手には寛容じゃないことも多い。寛容であって欲しいのであれば、自分も反対側の人に寛容になる。リベラルと保守はお互いを排除しようとするけれど、物事は二項対立じゃないし、常にイレギュラーをはらんでいるんです」

「暴力という言葉をなくそうとしたら、平和という言葉もなくなるという言葉が象徴的」だとシャラさん。言葉を一つなくすことは、その対義語もなくすことにつながる、という。

「だから、常に反対側がいるよってことを示したいんです。でも言葉だけでは届かないから、視覚的に気にならせるしかない」

 シャラさんは「シャラ ラジマ」という入れ物を通して、そう問いかける。

シャラ ラジマさん(撮影/写真映像部・高橋奈緒)
シャラ ラジマさん(撮影/写真映像部・高橋奈緒)

(編集部・福井しほ)

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