そもそも「弔う」とはどういうことか。
宗教学者で大阪大学の川村邦光名誉教授によれば、「弔い」は「訪(とぶら)う」を語源としていると話す。
「弔うとは、死者の元を知人や友人が訪れ、その人の死を悼み遺族を慰め死者の冥福を祈ること。弔いは、死者と弔問者との間で成立する極めて個人的で社会的な関係によるものです。今回の国葬は、安倍元首相の死に対して悼もうとする感情を抱けない人にとって、自分たちの税金を使って営まれることに納得できない人がいるのは当然であり、個人の心情に介入したり踏みにじったりすべきではないと思います」
一方で葬儀は、喪主を務める人物が「後継者」として権威づけを行う場として機能してきた。安倍氏の国葬では、岸田首相が喪主の立場に当たる葬儀委員長を務める。岸田首相は、安倍氏の死を政治的に利用して、国葬という形で行うことで自身が安倍氏の後継者としての権威づけを図ろうとしているのだろうという。川村名誉教授は言う。
「どれだけ豪華な葬儀であっても、人々の評価が伴わなければ記憶されず、忘れ去られていきます。人の死の意味は、葬儀によってではなく、当事者が死者をどれだけしみじみと心から記憶し続けるかどうかです」
9月27日。私たちはこの日をどのように迎えればいいのか。一人一人が問われている。(編集部・野村昌二)
※AERA 2022年9月26日号より抜粋
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