後に『ゴルゴ13』で一世を風靡することになる「さいとう・たかを」は、手塚の否定から始まっているが、これも「進化のその先」へ行くためだった。手塚を目標にするかぎり、手塚マンガの世界観を超えることはない。だから、さいとうは、金やセックス、暴力そうしたものをリアルに描く「劇画」という新しい表現方法を生み出していった。
さいとうは寺田と一面識もなかったが、突然寺田から手紙をもらう。
<そういう低俗なものを描くなって。もう延々と説教が書いてありました。5枚くらいの便箋で>(ムック『まんが道大解剖』のインタビューより)
トキワ荘に暮らしていた20代のマンガ家の卵たちやさいとう・たかをは、未来に生きていた。だが、寺田は、過去に生きる漫画家だった。
漫画家を30代で廃業したのち、『「漫画少年」史』という本を地元の出版社で出したのが50歳の時、翌年にこの本は日本漫画家協会賞の選考委員特別賞を受賞するが、以降は、トキワ荘のかつての仲間たちとはほとんどつきあおうとしなかった。鈴木によれば、たまに連絡があったと思ったら、借金の申し込みだったりした。
「つのだじろうは怒って出しませんでしたが、他のみんなは、黙って100万円といった金を出していました。私も50万円。もちろん借金といっても返ってこないことをみんなわかってました。テラさんも本当にその金が必要だったかはわかりません。むしろみんなの気持ちを確かめるようにして、借金を申し込んでいたのだと思います」
茅ケ崎の自宅に寺田が突然招いたくだんの宴会の翌月、赤塚不二夫が返礼の宴会をやろうと企画したりもしたが、寺田はがんとして応じなかった。
こうして、かつての仲間たちとは絶縁状態になった寺田だが、寺田の妻は、鈴木のところにだけは時々電話をかけてきていたという。
妻が鈴木に話したところによれば、寺田は離れにこもりっきりで、三度の食事も離れの前に出しておく。朝から酒を飲みながら、繰り返し、鈴木の撮った「新漫画党最後の宴会」のホームビデオを見ているのだという。「立派になった皆さんが、忙しいにもかかわらず、自分のために集まってくれたのが本当に嬉しかったんです」と妻は鈴木に言った。