小林:時代もあったのかもしれないけれど、「ちょっと違う」と憤りを感じつつも、男性のことも女性のことも、両方のことを向田さんはちゃんとわかっていたんだな、と。
小泉:いま流行(はや)りの韓国ドラマで同じような物語をつくったとしたら、3人くらい人が亡くなるんじゃない?(笑)。そして、最後には女性たちがシスターフッドを見せて終わる、みたいな。
■日常も人生も続く
小林:この時代の家族には“崩壊”という概念がなくて、どこか信頼しきっているところがあるとも思う。お父さんに外に女の人がいた、ということは、それは大変なことではあるし、確かに家族は揺らぐけれど「崩壊する」とは思っていないというか。この作品の場合、何も決着はつかないんですよね。ただただ、日常も人生も続いていく。
──ステージを囲むように、客席を配置するセンターステージ仕様で上演されるのも話題だ。
小泉:具体的な舞台美術で空間を転換することができなくなり、抽象的な場面転換で描いていくことになると思うので、とても演劇的だな、と。向田さんがそれぞれの感情をうまく描かれているから、ほかに頼るものはなく、ただただそこに「感情」が残っていくのだろうなと思います。
小林:俳優の背中の芝居など、正面のステージだけでは見られない俳優たちのたたずまいを見ることができると思うし、そこを舞台としてうまく成立させることができれば、映像とは違う「阿修羅のごとく」を見て頂けるのではないかな。実際の阿修羅像も、360度一周して見てみたいじゃない?
小泉:本当にそうだね、角度によって全然違う顔に見えるものだから。
小林:すべての角度から、剥き出しで見られてしまう。それこそが、まさに「阿修羅のごとく」であり、このステージならではの面白いところではないかな、と思います。(ライター・古谷ゆう子)
※AERA 2022年9月12日号