『「ヤングケアラー」とは誰か――家族を“気づかう”子どもたちの孤立』
朝日選書より発売中
近年にわかに「ヤングケアラー」という言葉が話題に上ることが多くなった。
日本ケアラー連盟ヤングケアラープロジェクトのHPによると、ヤングケアラーとは、
「家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートなどを行っている、18歳未満の子どものことです。ケアが必要な人は、主に、障がいや病気のある親や高齢の祖父母ですが、きょうだいや他の親族の場合もあります」
と書かれている。もちろん18歳を過ぎたからといって役割が突然変わるわけではない。そして、報道や行政の対策では、家事労働や介護の重さゆえに学校に通えないケースを強調している。しかし右記の定義にも「感情面のサポート」とあるように、実はヤングケアラーの「ケア」は家事労働や介護だけに限らない。
この感情面のサポートは家族の「見守り」と言われることもあるが、その言葉から受ける印象とは異なり、実際には非常にシビアな状況なのである。本書にご登場いただいたヤングケアラー経験者の一人サクラさんの場合、彼女の母親はうつ状態が深刻で睡眠薬の過量服薬を繰り返した。そのため彼女は小学生の頃から何度も救急車を呼び、母親を見守って徹夜していた。
サクラさん 〔……〕自分が置かれている環境っていうの全く分からない。おかしいことだとも思っていない。〔……〕『なんで私、こんな苦しいんやろう』と思ったけど、誰かに助けを求めないといけないような状態じゃないとは思っていました。
なんぼ〔生活保護の〕ケースワーカーさんが来て、「お母さん大丈夫?」って言われても、「いや、ご覧の通り、きょうも死のうとしていましたけど」みたいな。〔過量服薬で〕舌がずっと回ってなくて。(本書第6章)
本書では、ヤングケアラー問題の本質を子どもが家族を心配することに求めた。気づかうことは子どもが持つ力でもあり、かつこの気づかいゆえに、家事労働を伴わなくてもケアだと言える。子どもは家族のことが心配なのだから、逃げることはできないし、逃げようとも思わない。
家族への心配が何より優先されるために、家族の状況に巻き込まれて、子どもたちは孤立に苦しむことになる。家のなかに閉じ込められて学校や友だち、家族以外の大人たちから切り離されるがゆえに孤立するだけではない。例えば、長期脳死の兄を看病する両親が思い描くストーリーに合わせて振る舞っていた、本書の登場人物である麻衣さんは、家族に囲まれているのにもかかわらず孤独になっていく。
麻衣さん 〔……〕一人になったら解放されるので、別に何も気を使わないで自分の思いのままにしていいはずなのに、今度、一人になると『何したらいいか分かんない』みたいな感じになって。だから、『多分、それで自分が空っぽなのかな』とか、自分が自分の意志でいろいろ動いてないから、一人に戻っちゃうと、すごい居心地が悪くて。(本書第1章)
サクラさんが「誰かに助けを求めないといけないような状態じゃない」と語っていたように、あるいは現在30代の麻衣さんが20年以上前の孤独をインタビューで初めて人に語ったように、子どもたちは苦しいと思っていてもSOSを出すことができない。親が薬物依存である場合のように、他の人に言ったらいけないと子ども自身が沈黙するケースもある。
本書では、7人にインタビューを試み、彼ら一人ひとりの経験を細かく描き出している。ヤングケアラーとなった事情はそれぞれ全く異なり、ケアの内容も異なる。一人ひとりの文脈を解きほぐしていくことで、家事労働による拘束と疲労とは異なる気づかいの側面が本人にとっての苦痛であることが明らかになっていく。
孤立や束縛によって苦しんでいるヤングケアラーに有効な支援はどのようなものなのだろうか。孤立にしても家の中への束縛にしても、周囲の人々とのつながりを持つことが重要である。ケアに時間が取られるのであればアウトリーチを含めた親への生活支援が重要になろうし、子どもの居場所、継続的に頼りにできる大人や仲間たちといった環境をどのように整えていくことができるかといったことが鍵となるだろう。