第2次世界大戦について知る人はどんどん減る。戦争についてのドキュメンタリー番組が減り、戦争の痛みを想起するものが減る。

 数年前の夏に私が広島県の似島(にのしま)を訪れたときにはまだ語り部の人に話をきくことができた。「ああ、自分はなにも知らない」と思い知らされ、見知ったもののなかにある戦争の記憶に気づかされた。

「ぼくらの」というこの本の題名は、私たちが戦争を自らの「内」に見出すことの難しさと大切さを、繰り返し訴えかけてくる。理解できない「他者」の企てた戦争を批判するのは簡単だし、そうするうちは「自分(たち)は決してそんな愚かなことはしない」という前提に立っていられることになる。

 けれども戦争のことばはいつも、人間が「近く」に感じている、愛しいもの、大切なもの、失いたくないものを味方につけようとする。やっぱり怖い。でも戦争とそこに向かうことばとの細やかなつながりが見えてくると、「怖い」の正体が少しずつわかる。

 戦争のことばのなかには「なんかあやしい」ものがたくさんある。でも大きな不安が社会にあると、人はなるべく簡単で手っ取り早く安心できることばが欲しくなる。「なんかあやしい」にも気づきにくくなる。そうしてほんとうに戦争が起きると、想像していたよりもずっとたくさんの人が憎悪や攻撃性や排他性にのまれ、そこにはなぜだか、「愛」とか「守る」とかいういかにも大切そうなことばと「無理もない」「当然だ」というあきらめのことばがつきまとい、それらが「大きなことば」に飲み込まれていく。だからこの本と一緒に考えたいのだ。「怖い」ものを直視することで見えてくる、私たちの内部にある戦争の火種を。

週刊朝日  2022年9月9日号

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