いまから99年前の1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災は、10万人を超える死者・不明者を出し、被災者も340万人を数える甚大な被害をもたらした。震災当時の様子は、被災した多くの文豪が記録に残している。
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そのころ文壇の寵児だった芥川龍之介は田端の自宅で被災した。パンと牛乳の昼飯を食べ終え、茶を飲もうとした瞬間にぐらりと来た。真っ先に庭に飛び出した芥川だったが、妻らは子供たちを抱いて出てきた。
<この間家大いに動き、歩行はなはだ自由ならず。屋瓦の乱墜するもの十余。(中略)土臭ほとんど噎(むせ)ばんと欲す。父と屋の内外を見れば、被害は屋瓦の墜ちたると石燈籠の倒れたるとのみ>(「大震前後」)
芥川の妻、文は『追想芥川龍之介』でこの時のことを<私はその時主人に、「赤ん坊が寝ているのを知っていて、自分ばかり先に逃げるとは、どんな考えですか」とひどく怒りました。すると主人は、「人間最後になると自分のことしか考えないものだ」とひっそりと言いました>と書いている。
この時の“揺れ”の壮絶さについては、当時ブレーク直前の新進作家だった横光利一が後の講演で臨場感たっぷりに伝えている。横光はその瞬間、神田の東京堂書店で雑誌を立ち読みしていた。
<狭い道路で家が建て込んで居て、その家がバタバタと倒れて行く。それと同時に壁土やなんかがもうもうと上って、其の辺は真黒になる。だが上から何が落こって来るか解らないので、眼を閉じる訳にいかない。眼を開いていると土ほこりが入って痛いが、我慢している。其処らに居た人は互いに獅噛附(しがみつ)いて固っている。私はその時これが地震だとは思わなかった。これは天地が裂けたと思った。絶対にこれは駄目だ、地球が破滅したと思った>
揺れや建物の崩壊の後に襲ってきたのが“火事”だった。多くの被災者は延焼を避けるため着の身着のまま、最低限のものを持ち出して脱出、避難した。