新作『天路の旅人』は、「新潮」8月号、9月号に掲載された。単行本出版は10月の予定。『深夜特急』はこれまで単行本3巻で42万7500部、文庫本6巻で535万8000部を発行している。
新作『天路の旅人』は、「新潮」8月号、9月号に掲載された。単行本出版は10月の予定。『深夜特急』はこれまで単行本3巻で42万7500部、文庫本6巻で535万8000部を発行している。

「沢木さんが旅した1970年代の香港に行ってみたい」

 そう彼女は言ったが、それでも一人で旅をしていると様々な出会いがある。『深夜特急』の中には、安宿にとまったら、そこは娼館だったというエピソードがある。クアラルンプールのびっくりするほど安い宿をネットで予約していったらば、『深夜特急』で書かれたような娼館だった、なんてことを彼女は楽しそうに話してくれた。

 SFCの中では彼女はちょっと変わっていて、当時から「校閲者になりたい」と言っていた。私は、「出版社・新聞社は校閲採用がある。駄目だったらフリーという手もある」と励ましたものだった。

 さて、沢木耕太郎は、今も「旅」について書き続けている。

 文芸誌の「新潮」8月号と9月号に新作のノンフィクション「天路の旅人」を発表した。西川一三という第二次世界大戦末期に中国の奥地深くに潜入したスパイの旅について書いている。西川は、蒙古人「ロブサン・サンボー」としてラマ僧になりすましたまま旅を続け、1950年にインドで逮捕され、日本に送還される。

 私がひきつけられたのは、本編の西川の旅に入る前のくだりだ。戦後は盛岡でひっそりと化粧品店をいとなんでいる西川に、沢木は、地元紙の記事から興味をもち、連絡をとって取材を始める。それが四半世紀も前のことなのだ。

<私の流儀として、かりにそれが仕事の場合であっても、最初に会ったときには、いわゆるインタヴューをしない>

 こんな一文を読みながら、「焦るな」と沢木さんが言ってくれているような気がした。

 そして西川も、1974年の沢木さんの旅に強く反応をするのだった。沢木さんが旅をした1974年というのは奇跡のような年で、パキスタンからカイバル峠を越えて陸路でアフガニスタンの首都カブールまで乗合バスで行くことができた。西川のころは印パ紛争によってアフガニスタンには入れず、1979年にはソ連軍が軍事侵攻をする。以降は戦火に踏みにじられ、一般の旅行者が旅することができるような国ではなかった。

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