パリの通貨がまだユーロになっていない時代。1カ月のオープンチケット以外に、5万円だけを握りしめて、アンミカさんはパリに渡った。オーディションにはすべて落ちた。落とされた理由を聞くと、「あなたは自分をまったく知らない」。その言葉に一念発起し、日本で自分探しをしようと決めた。
そこからは、ひょんなことから海外の雑誌のカバーを飾ったことがきっかけに、あれよあれよと言う間にモデルとしての注目度が高まり、21歳でパリコレデビューも果たした。ところが、大阪での仕事が安定し、これから親孝行ができると思った矢先、父が病に倒れ、他界。アンミカさんは、自分のルーツを知るために、仕事をすべてストップして、韓国に語学留学をする決意をした。
韓国には1年強滞在し、日本に戻ったものの、韓国で学んだことが生かせるようになるには、それからまた数年かかった。関西での仕事は安定していたが、さらなる高みを目指して東京に進出したのは37歳のときだ。その後のテレビなどでの活躍は、多くの人の知るところである。
(菊地陽子、構成/長沢明)
※週刊朝日 2022年9月2日号より抜粋