関西弁のトークとポジティブ思考でいつも明るい人柄が人気のアンミカさん。幼い頃は現在とは対照的に、引っ込み思案で下を向いてばかりだったという。そんなアンミカさんを変えたのは、母の言葉だった。
15歳のときに、アンミカさんは最愛の母を病気で亡くしている。「5人の子供を産み、育て、きょうだいそれぞれに個性に合った夢を与えるのが上手な母でした」と語るように、幼い頃は引っ込み思案だったアンミカさんが、一念発起してモデルになろうと思ったのは、母からのアドバイスがきっかけだった。
「幼少期に階段から転落したときの後遺症で、笑うと上唇がめくれて、歯茎が黒く見えてしまう時期があったんです。子供の素直さって、残酷さと表裏一体でしょう? 学校でそれを『怖い』と言われてからは、すっかり自信を失って、下を向いてばかりいるようになりました。きょうだいの中でも、みんな痩せてシュッとしているのに、私だけコロコロしていることにも傷ついたりして……。そんなときに母が、『大人になったら、一緒にいて心地いい人が美人であって、目鼻立ちがキレイな人だけが美人ではないのよ』と、一緒にいて心地いい美人になるために、四つの魔法を実践するように教えてくれました。(1)姿勢をよくする。(2)口角を上げて笑顔に。(3)相手の目を見て話す。(4)話すことが苦手なら、うなずき、共感、質問を……と」
素直にそれを実践すると、大人から褒められることが増え、アンミカさんのコンプレックスは次第に解消されていった。
「いつも、母と一緒に、鏡を見ながら笑顔の作り方なんかを練習していたら、あるとき母が、『今のミカちゃんは、まだ背はちっちゃいけど、手足が長いから、将来はモデルさんになれるかも』って言うんです。ほかにも、私が聖歌隊で歌っていたりするのを見て、『声もいいから、ミュージカルとかもできたらいいわね』って」
“将来はモデルに”という母の希望を叶(かな)えたくて、中学3年生になると、大阪・梅田にあるモデル事務所に履歴書を送った。何度送っても返事がなかったので、しびれを切らして「私は、写真写りが悪いので、実物を見て判断してください!」と電話で交渉。それでも結果、面接は落ちたものの、当時の社長が、「梅田に出てきたときは遊びに来ていいよ」と言ってくれた。