和田:意識はしていませんが、僕も登場人物に自分を重ねているのだろうな、とは思います。歴史上の人物をどう解釈するかということは、突き詰めれば、「自分のなかにあるその人の部分をどのように見つけ、理解しようとするか」でしょう。

山崎:多面体である人間のどの部分を見てクローズアップしていくか。それは見る人によって異なるものなので、だからこそ、同じ人物でも評価がわかれることがあるのでしょうね。

和田:そうだと思います。

山崎:どの武将になってみたら楽しそうだな、と思うことはありますか? ちなみに、私は誰にもなりたくはないです。

和田:僕も誰にもなりたくないな(笑)。戦国時代は端から見る分には楽しいけれど、その場にいたらもう、大変だろうから。

■殉死の前に昼寝する

和田:戦国時代の人々の中には変わった考え方をする人もいて、彼らならではの考え方に触れると、良くも悪くも「人間の可能性」を感じます。

 たとえば、戦国の世風が残る江戸時代初期の話ですが、殿様が死んで殉死しようとした武士がいた。けれど、その武士は殿様の葬式などで疲れてしまい、殉死する前に昼寝をしたい、と言い出した。すると、妻が「昼寝が長すぎて臆病だと思われる」と夫を起こしに行き、武士は「ああ、よく寝た、元気になった」と言って腹を切る。

 陰惨だと捉えることもできるけれど、僕はいかにも戦国っぽいと思うし、「本気でそう考えていたのだろうな」と明るく捉えたいと思うんですね。いまの世の中の「常識」に息苦しさを感じていたりするのだとしたら、400年ほど前の日本を思えば、いまの悩みが悩みですらなくなる可能性があるでしょう。

山崎:見栄やプライドを大切にしている一方で、占いを信じていたようですし、矛盾を含めて人間らしいですよね。何かに縋(すが)って生きたいと考えるのは、動物的でもあると思います。幕末の話にはなりますが、坂本龍馬だって敵に追われているというのに、隙を見てお風呂に入っている。第三者への意識の向け方も、現代とは異なりますね。

和田:僕も、人間のそんな側面を面白がりながら書きたい、と心がけているところはあります。

──タイムスリップできるなら、行ってみたい時代はあるのか。

和田:戦国時代の公卿で神道家であった吉田兼見が記した「兼見卿記」という日記を最近読んだのですが、内容を目にすると「その場に居合わせたかった」という思いに駆られます。吉田兼見は織田信長ら多くの武将たちと交流があった人物で、「本能寺の変」が起きた数日後に安土城に明智光秀に会いに行っているんですね。日記には今度謀叛之存分雑談也と書いてあった。つまり、なぜ光秀が謀反を起こしたのかを聞いた、と。

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