
なぜ、戦国武将は私たちを魅了するのだろうか。歴史に詳しい、小説家の和田竜さんとタレントの山崎怜奈さんが語り合った。AERA 2023年1月23日号から。
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──和田竜さんは司馬遼太郎の『竜馬がゆく』をきっかけに歴史が好きになった。山崎怜奈さんは、父親の本棚にあった司馬遼太郎の小説や大河ドラマ「篤姫」(2008年)をきっかけに歴史に目覚めた。戦国時代に目を向けるようになった二人が惹かれるのは、戦国武将たちの人となりや人間らしさだ。
■ダメな武将が好き
山崎:蒲生氏郷や北条氏康といった武将たちも好きですが、二人ともどちらかというと知性があり、民にも好かれ、家族関係も良くて……と、「いいところ」の方が目に留まる人物。それよりも、どちらかと言うと「記憶にも残りづらいし、ダメな武将」が好きなんです。
和田:それは誰ですか?(笑)
山崎:たとえば、『のぼうの城』を読むと、「でくのぼうだから『のぼう様』」と領民に言われる人物って、どれだけダメなのだろう、と思います。だけど、どこか愛されているというか、応援されていますよね。「俺たちの殿様のことは、自分たちがどうにかしなければ」と皆で支えようとする。戦国時代は、上に立つ人間が必ずしも「トップに立ちたい」という思いを抱いていたわけではないと思うんです。出自などから「上に立たざるを得なかった人物」をどのように支えるかという物語にわくわくします。実際、戦が嫌で仕方がなかった武将もいたでしょうし。
和田:そんな内容が記された遺言状も残っていますよ。たとえば、森蘭丸の兄は「うちの娘は町人に嫁がせたい。弟にも自分の跡を継がせたくはない」といった言葉を遺しています。武士が嫌だったのです。
山崎:それでも戦って生きていかなければいけない、家を守らなければいけない局面に立たされた時に、どのように葛藤し、「イヤだ、イヤだ」と言いながら戦場に出ていったのか。想像する余地があるところが戦国時代を舞台にした作品の面白いところだと思っています。和田先生の作品でも、「余白」と「史実」を重ね合わせている。
「自分が同じ立場に立たされたらどう判断するだろう」と自分に置き換えて考えることもあります。お城を見に行けば、「この造りなら、どこから攻めても向かい撃ちにされてしまうから無理だな」と思ったり、「だからこそ現存しているんだ」と納得させられたり。私の場合は完全に“想像屋さん”です。