優勝候補の2チームが同じ4区で相次いで途中棄権したのが、96年の第72回大会だ。

 最初のアクシデント発生は3キロ地点の手前。3連覇を狙う山梨学院大・中村祐二が右足を引きずりだし、ジョギングのようなスローペースになった。

 実はスタート前のアップの時点で痛みを感じていたが、前年3月のびわ湖マラソンで優勝したときも左足底筋を痛めながらも完走していたので、さほど深刻に受け止めなかった。

 だが、スタート直後から右足が悲鳴を上げ、ふだんの走りがまったくできない。5キロ手前で心配した上田誠仁監督が声をかけた。

「どうだ」「いけます」「止めるぞ」「止めないでください」のやり取りが続くなか、中村は歯を食いしばって走ったが、激痛は増すばかり。

 そして、12.43キロ地点、上田監督は「ドクターストップが入ったからな。止めるぞ」と声をかけ、断腸の思いで中村の体にタッチした。

「選手の体を考えると、走らせるのがつらかった。選手の気持ちを考えると、止めるのがつらかった」(上田監督)。

 棄権が決定した瞬間、中村は両目を押さえながら天を仰ぎ、収容された車の中でも嗚咽しつづけた。

 一方、初優勝を狙っていた神奈川大も、高島康司が突然左膝に激痛を感じ、5キロ過ぎからふらふら歩きはじめた。朦朧とした意識でなおも6.3キロ地点まで歩きつづけたが、ついに大後栄治コーチ(現監督)がストップをかけた。左脛骨の骨折だった。朝の準備運動のときから筋肉が張っていたのに、我慢して走った結果だったという。

 一大会で2人が棄権するのは史上初の事態。翌年から各区に給水所が設置され、選手の健康、安全面が配慮されるようになった。

 翌97年、中村は2区で区間賞を獲得。高島も9区で区間3位の好走を見せ、チームの初Vに貢献した。

 山登り5区の最高地点(標高874メートル)で気温3度、風速18メートルという大荒れの天候のなか、極寒の箱根山中で2チームが相次いで棄権したのが、13年の第89回大会だ。

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箱根のランナーを棄権に追い込んだ“風”