(写真部・高野楓菜)
(写真部・高野楓菜)

――帝王切開の手術中に意識はあるのでしょうか?

あるんですよ。逆に意識がないといけないみたいで、下半身麻酔でした。「今から切ります」っていわれたんですけど、まだ全然麻酔効いてないんじゃないかって思うくらい、意識がはっきりしていました。

――産まれてきた瞬間はどうでしたか?

「人間が出てきた」と思いました(笑)。でも最初、1人目の赤ちゃんが泣かなかったんですよ。「泣かないけど平気なのかな」って思っていたら、助産師さんが「お口パクパクしている。大丈夫、向こうでお口を吸ってもらえば泣くから」って言って、隣の部屋にある処置室に連れて行きました。だから、産まれてすぐに「わー!」っていう産声は聞けなくて、処置室で泣いたのが初めての産声でした。2人目が出てきた時は、すぐに泣いてくれました。

――結婚していつ出産するかは計画的に考えていたんですか。

そうですね。子どもが欲しいから結婚したみたいな感じ。結婚するまでに、お付き合いの期間が1年半ぐらいあったので、結婚したら2人の時間よりも、すぐに子どもが欲しいとは思っていました。でも仕事との兼ね合いもあって、結婚して半年後から妊活を始めたという感じです。

――不妊で悩んでいる人は少なくないと思いますが、妊活をしてどうでしたか?

私は妊活を初めて4カ月で妊娠したんで、そんなに「妊活頑張りました!」って程でもないですけど、最初の3カ月はうまくいかなかったんです。私の場合は原因がわかったんです。

――思い当たる原因とは?

卵胞を育てる数値が低かったので、卵胞が育ちにくく排卵が上手くできてなかったです。成熟卵胞になるまで時間がかかるとか、大きくなりきらずに無くなってしまうとか、そんな感じ。一瞬だけ妊娠した瞬間はありましたが(化学流産)、これは卵胞がしっかり育ってないからだと思いました。原因が分かれば、ホルモンを調整する薬などで治療ができるので、初めから病院に行って原因が分かって良かったと思いました。ちなみに、AMH(抗ミュラー管ホルモン)の数値が年齢の割に低く当時36歳だったのに、医師から「41、42歳の数値です」と言われました。ショックで、「私の卵子って少ないんですか?」って聞いたら、「ただの数字であって、卵子はなくはないから。残っている卵子を正常に育てれば問題ない」と言われて、その時の言葉がすごい励みになりました。

――蒼井さんがセクシー女優を始めた当初、飯島愛さんを理想としていたという話を耳にしました。

後付けですけど、最初にスカウトされて、この世界でやってくんだったら、飯島愛さんのようにはなりたいみたいとは思っていました。セクシー女優では終わりたくないと思っていました。

――AV作品にはもう長らく出演していません。

2011年に撮影した作品が事実上の最後。引退はしないんですよ。一応その作品が引退作のようになっていて、11年前からは出てないんです。

――「引退はしない」ということですか?

芸能は続けるし「引退」という言葉で全ておしまいになってしまうイメージがいやで、引退という言葉を使いませんでした。実際はもう撮りませんし、AVに関しては事実上引退しているので、「卒業」って表現が相応。撮らないと決めたのも、中国でちょっと勝負してみたいなと思って。その頃に、中国へ行ったのがきっかけです。

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